お台場がバブル崩壊を乗り越えられたワケ
それでもすでに決まっていた工事は止められない。ゆりかもめ・りんかい線といった交通機関も開業し、テレコムセンター、デックスビーチ、フジテレビ、ホテル日航東京(現在のヒルトン東京お台場)などが現れる。
世界都市博の開幕予定日だった1996年3月24日には、町びらきの記念式典も行われた。パレードでは都市博を中止した青島知事とミッキーマウスが並んで先導したという。
この時点でのお台場は、どちらかというとバブルの負の遺産、都市開発の失敗例となる可能性も高かった。
ところが案に相違して、少しずつお台場は新たな観光スポットとしての地位を築いてゆく。
最初は「空気を運ぶ」などと揶揄されたゆりかもめも、1997年には1日7万人近いお客を運ぶようになり、「最前列に二人で座れば恋が叶う」などというありふれた逸話も広まった。
都心の近くに海を楽しむ観光スポット、という点も良かったのだろう。デートスポットとして、また若い人たちの遊ぶ町というイメージも醸成された。
平成以降の日本を象徴するまち
そしてフジテレビ。1997年に移転してきたころのフジテレビは、文字通りの全盛期だったことも、お台場のイメージアップに貢献したことは間違いない。かの刑事ドラマ「踊る大捜査線」のヒットも、お台場の知名度向上を手伝った。
こうしてお台場にはたくさんの人がやってくるようになり、ヴィーナスフォートやアクアシティ、大江戸温泉物語、ダイバーシティといった集客施設が次々に現れた。青島知事を当選させて、お台場の開発に待ったをかけた東京都民が、今度はお台場を救ったのである。
いずれにしても、お台場の町の原点はバブル絶頂期の計画にあった。バブルが崩壊してもその根っこが変わることはない。だからどことなく、いまもお台場はバブルの香りをまとっている。
いまもあちこちに残る空き地と、バブル時代の幻影と。もしかすると、この特異な埋立地は、平成以降の日本の激動を象徴する町なのかもしれない。
撮影=鼠入昌史
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