運命のユニット「COMPLEX」

 80年代、周りが羨むほどお膳立てされたサクセスストーリーに、吉川自身はまったく魅力を感じなかった。NHK紅白歌合戦の初登場(1985年)で、酒を飲みながら登場し、舞台でギターを燃やした事件は、当時の彼の苛立ちをそのまま感じる。ただ、その圧をはねのけようとしたエネルギーが、歌もパフォーマンスも光らせていたのも事実だ。

 高い所から飛び降りたり、水に飛び込んだり、派手な演出と吉川の躍動感はロックにガッチリハマった。「ザ・ベストテン」でターザンさながらに綱にぶらさがりながら歌い、下にいる黒柳徹子が、蹴られないよう下で逃げ惑うシーンはいまだ記憶に残っている。

「サヨナラは八月のララバイ」「ラ・ヴィアンローズ」「RAIN-DANCEがきこえる」など、聞き取りにくい巻き舌歌唱ながら、サビは非常に鮮明で、気づいたら「ラ・ヴィアンロー……オオ」と口ずさんでしまう。あとで歌詞を調べ、改めてその内容にシビレるという、洋楽と似たテンションがあった。

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 しかし、本格的に吉川晃司の持つカリスマ性が解き放たれるきっかけとなったのは、やはり1988年にギタリスト布袋寅泰と結成したロックユニット、COMPLEXの「BE MY BABY」だろう。白い壁をバックに、カメラ1台で一発撮り。吉川の華と布袋の迫力以外なにもないMV。イントロの「BE MY BABY……」だけ10分ほど続いても苦も無く聞けそうな楽曲のインパクト! 本質以外すべて削ぎ落とした「極み」ともいえる名曲だ。

 COMPLEXは絶大な人気を誇りながら、吉川と布袋の音楽性の相違が原因で、たった2年で活動休止となった。が、この衝突が吉川にとって大きな刺激となったのは、その後、彼が作詞作曲した「ジェラシーを微笑みにかえて」「Rambling Rose」などの名曲を聴けば明らかだ。

布袋寅泰のInstagramより

 二度と活動再開がないと思われたCOMPLEXは、2011年7月の東日本大震災チャリティーライブで再結成。

 さらに2024年には能登半島地震チャリティーライブを行い、精神的にも、金銭的にも、多くの人を救っている。個人的な「合う、合わない」を超え、音楽の神が引き合わせた、運命のユニットなのだと思う。

「所帯を持ちます。小さな子供がひとりおります」

 2011年6月には結婚を発表。公式サイトのファンクラブ会員に向けて、「所帯を持ちます。小さな子供がひとりおります。知らせるのが遅れて申し訳ない。順序が逆になったことについて言い訳はしません。自分はどこか弱かったと思います。ただ、筋は通させてください。本当の筋は、これからの歌で通します」と報告している。