8月に還暦を迎えた吉川晃司は、ますます活躍の幅を広げている。80年代にデビューし、NHK紅白歌合戦の初登場で、ギターを燃やす姿を記憶している人も多いのではないか。私生活では45歳のときに結婚を報告、ケガや病気が絶えない一面も持つが、そのパフォーマンスが年齢を重ねるほど魅力的になっている背景には何があるのだろうか。
◆ ◆ ◆
還暦を迎えた吉川晃司
吉川晃司は今年で芸能活動41周年に突入、アーティスト・俳優など、彼の活動範囲は広がるばかりだ。毎年行うライブでは攻撃的ながらスタイリッシュなパフォーマンスを見せつけ、ファンを増やし続けている。
今年2月からは、「故郷・広島への恩返し」として、同い年で同じ広島出身の奥田民生と「Ooochie Koochie」を結成。MVで魅せる人懐っこい笑顔、トークショーで、奥田の冗談に「やめんさい!」と広島弁でツッコむ様子は、なんとも微笑ましい。9月11日、12日には日本武道館での公演も行われた。
同時に被災地復興にも力を注ぎ、戦後80年の今年は、被爆2世として「核兵器が使われることが二度とないよう」にと、平和の発信やイベントにも積極的にかかわっている。
自分のバックボーンと向き合い、社会と向き合い、誤解や風評、衝突を恐れない。普通なら擦り減ってしまうような他者との摩擦さえも輝きにするような「吉川晃司」。その魅力の原点はどこにあるのか。
吉川晃司が駆け抜けた80年代
彼は、はじめからスターだった。1984年2月公開の映画『すかんぴんウォーク』の主演と主題歌「モニカ」という、歌手、俳優のWデビュー。彼の存在などまったく知らないまま、同時上映の『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』目的で映画館に行き、その流れでファンになった人もいるだろう。もしくは、「事務所猛プッシュの新人が出てきた」とシラケた人もいたかもしれない。
「ザ・ベストテン」には同年4月5日初登場。「モニカ」が7位にランクイン。肩幅がやたらと広く、ピンクの背広をびしりと着こなす若者は、当時大人気だったトシちゃん、マッチのようなキラキラ系とは明らかに違った。司会の黒柳徹子と久米宏は、銀の回転ドアから入ってきた彼を慌ただしくソファに座らせ、いの一番に「世界ジュニア水球選手権大会の日本代表」「全日本高校最優秀選手」という華麗なる経歴を本人の代わりに熱弁。なんというか、彗星のごとく、水球とともに現れたというイメージであった。
サビ以外聞き取りにくい巻き舌歌唱、高々と脚を上げ、軽く片手バク転をするパフォーマンスは、総じて、アイドルっぽくもアーティストっぽくもアスリートっぽくもあり……。よく言えば斬新だが、つかみどころがなかったのも事実である。


