「やれるだけのことをやらないと一生後悔する」将棋に対する意識が変わったきっかけ
しかし、有段者になると、それでは通用しなくなった。気がつけば大学を卒業して2年が経ち、満26歳の年齢制限が近づいていました。この鬱々とした現状を打破したい、何かをつかみたい、と思うようになり、愛知県西浦温泉で行われた、中原誠と米長邦雄の名人戦を現地まで観戦に行きました。昭和のゴールデンカードをどうしても見ておきたかったのです。両先生の対局姿は本当に美しく、かっこよかった。将棋に対する意識が変わった、最初のきっかけだったと思います。
翌年には米長―羽生の名人戦も現地観戦しました。このときの米長先生と羽生先生の気迫もすごかった。格闘技を間近で見ているようで、怖いと思ったほどでした。興奮冷めやらぬまま、帰途の新幹線で我が身を振り返り、ふと思いました。自分はあれほどの力を振り絞って戦っているのだろうか。やれるだけのことをやらないと一生後悔する――。最後の2年間は決意を新たにして将棋に打ち込みました。
羽生世代の検討に必死になって食いついた
奇縁があり、高橋道雄、島朗、森下卓といった当時のトップ棋士に将棋を教わるようになりました。御三方から本格的な矢倉を学び、三段リーグでも矢倉を指すようになります。おかげさまで、棋士になるまでの最後の2年間は、矢倉を指して負けた記憶がありません。
羽生世代の人たちと一緒に、将棋会館で将棋を検討した日々も大きかったですね。当時の将棋界には、公式戦を現場で見ながら控室で検討する文化がありました。ネット中継やAI(人工知能)が普及した現在では、棋士や奨励会員が集まって検討する機会は減りましたが、いろいろな人の意見を聞きながら検討するのは、本当に良い勉強になります。
検討に関しては、忘れられないできごとがあります。ある日のこと、某棋士が「ここは歩が筋だよね」と話し、その場にいた全員がうなずきました。「筋」とは本筋、局面の急所を突く一手のことです。私もわかったような顔でなるほどと言って、▲2三歩を検討盤に示したのですが、皆が「え、そこ?」と驚くのです。彼らが筋だと思っていた手は、▲3五歩でした。私の▲2三歩は本筋どころかイモ筋だったのです。思わず顔が真っ赤になりました。
強い人たちは、小学生のうちに奨励会に入り、本筋を学んでいます。しかし、私は奨励会入りが中学3年生と遅く、プロの将棋にあまり触れることなく強くなったものですから、本筋が身についていなかったのです。それを思い知らされたあの日以来、出遅れを取り戻そうと、彼らの検討に必死になって食いつき、その感覚を学んでいきました。




