20年以上話題にできなかった出来事

 25歳になり、奨励会員として最後の1年を迎えます。残り2回の三段リーグで2位以内になれなければ強制退会です。それまでは、同じ三段の岡崎洋、中座真、瀬川晶司、勝又ら仲間同士で研究会をしていたのですが、それも解散すると決めました。みんな年齢制限を目前にしたライバルだったから三段リーグで当たるのはバツが悪かった。結果的に全員棋士になれましたが、みんな切羽詰まった状況でした。

 第15回三段リーグは開幕3連敗の絶望的なスタート。しかし、なんとか踏ん張って12勝6敗の成績を収めます。これが結果的に大きかった。

 最後の第16回三段リーグでは、勝ち越し延長(勝ち越せば年齢制限を超えても29歳まで次期の三段リーグに参加できる)の制度が設けられましたが、追い込まれていることに変わりはありません。中座さん、瀬川さん、同期の近藤正和さんともリーグで戦いました。風邪でボロボロの状態でも連勝するなどの運もあり、最終節で1勝1敗なら2位という状況を迎えます。

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 最終節は初戦で敗れましたが、最後の1局に勝って1勝1敗。年齢制限を目前にしてのプロ入りでした。本当にギリギリでして、近藤さんも私と同じく13勝5敗でしたが、同星になった場合は、前期成績に基づいて最終順位を決定します。私は開幕3位、近藤さんは4位だったので、わずか1枚差で私が2位になったのです。

 その後のことは断片的にしか覚えていません。最終戦に勝った後、泣きながら成績表に白星の印を押したこと。深夜に実家に帰り、飲めないはずの日本酒を痛飲したこと。石田先生からは「あの日は朝まで泣いていたと、君の母親から伺いましたよ」と聞きました。

『キホンからわかる 東大教養将棋講座』 (勝又清和 著)

 これは後日談ですが、祝い酒の席で、遠藤正樹さんに「1年前の近藤戦の勝利が大きかったな」と言われ、ハッとしました。四段昇段の1年前、第14回三段リーグで私は近藤さんに勝ちました。第14回から第16回までの勝ち数と、開幕順位・最終順位を並べると、次のようになります。

勝又 9勝(18位→14位)→12勝(14位→3位)→13勝(3位→2位)

近藤 7勝(10位→21位)→12勝(21位→4位)→13勝(4位→3位)

 もし第14回で近藤さんに敗れていたら、8勝で並んでいたわけですから、私が近藤さんを順位で上回ることはありませんでした。当然、第16回も近藤さんが順位差で四段に昇段していたことになります。1年前の1勝が二人の運命を分けたのか――。遠藤さんと別れた後、アパートに戻り、茫然と満月を眺めていたのを覚えています。

 近藤さんはとても明るくて、いつもニコニコと冗談を飛ばす人ですが、少なくとも20年以上、私も彼も当時のことを話題にしませんでした。思い出として語り合えるようになったのは、ここ数年のことです。

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