だが、「いずれの会見でも、すこぶる不機嫌なのが隠し切れていない様子でした」(マスコミ関係者)。また前出の警察関係者は「吉田さんは実際、眞子さんのことを含め秋篠宮ご夫妻から必要以上のことは何も聞かされていないようです」と付け加える。令和に入ってから秋篠宮家が特段、注目を浴びている理由はもちろん、事実上の皇太子家に当たる皇嗣家となったためだ。宮内庁関係者は「やはり令和3年に皇室を離れた眞子さんの結婚延期騒動の余波が大きい」と語る。

吉田尚正・宮内庁皇嗣職大夫 ©時事通信社

秋篠宮さまが訴えられた「違和感」

 ここで、あまり聞きなれない「皇嗣職大夫」というポストと吉田氏のプロフィールに触れたい。

 皇嗣職とは、今の天皇陛下が即位するまで東宮職と呼ばれていた宮内庁の部局とほぼ同義だ。東宮は皇太子の別称。現行の皇室典範は第四条で「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する」と規定し、第八条では「皇嗣たる皇子を皇太子という。皇太子のないときは、皇嗣たる皇孫を皇太孫という」と定めている。歴史上は皇太弟との呼称も存在したが、法規上は現存しないため、平成から令和へお代替わりが行われた際、政府は秋篠宮さまに「皇太子」の称号使用を提案したものの秋篠宮さまが首を縦に振られず、本来は称号ではない「皇嗣」が代替の呼称として選択された。

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秋篠宮さま ©JMPA

「秋篠宮さまは、ご自身が天皇陛下の子供ではなく弟であるという一点をもって強い違和感を訴えられたとお聞きしています。確かに平安時代の実仁親王は正式名として白河天皇の皇太弟となっています。ですが桓武天皇の皇太子となった早良親王は同母弟でしたし、仁賢天皇は即位前、弟である顕宗天皇の皇太子でした。子という漢字は子供という意味だけでなく、ただ単に『人』や『者』との意もありますが、秋篠宮さまはご納得なさらなかったようです」(前出・宮内庁関係者)

※本記事の全文(約4500文字)は、月刊文藝春秋のウェブメディア「文藝春秋PLUS」に掲載されています(青山次郎「《悠仁さま成年式》『すこぶる不機嫌なのが隠せていない』元警察官僚エースは秋篠宮家を守れるか?」)。全文では、以下の内容についても語られています。
・花の「昭和58年警察庁入庁組」
・秋篠宮ご夫妻がこだわった“格”
・志半ばで宮内庁を去った“最後の切り札”との共通点

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