『幽霊の脳科学』(古谷博和 著)ハヤカワ新書

 幽霊の正体見たり、枯れ尾花……ではないようである。枯れ尾花がそこにある必要はない。そんなものがなくても、どうやら私たちは幽霊を幻視してしまうらしい。本書はその機序を丁寧かつ平易に解き明かす。

 脳神経内科医である著者は古今の怪異譚を幻覚の「症例」として分析していく。ただし、脳科学者は「ゴーストバスター」ではなく、幽霊と脳機能をつなぐ「Matching maker(仲人)」であるという。とかく性急にいる/いないの議論をしたがる人が現れるのが幽霊談義だが、著者は幽霊の有無ではなく、それを人が認知するという出来事を「説明」しようとしている。この点は民俗学を学ぶ者として、なんだか嬉しくなった。私たちも幽霊の研究をおこなっているが、幽霊がいるのか否かでなく、「幽霊を体験したと述べている人がいる」というひとつのゆるぎない事実を基本的な立脚点として、体験の事例を文化的問題として(著者の述べ方に置き換えるなら、高度な高次脳機能の所産として)分析していく。民俗学と脳科学との架橋、という新たな研究展開の可能性も夢想したくなる。

 人びとが暗闇のなかでも怪しきものの姿をありありと目視していることに、著者が注目するあり方には気づかされるところがあった。民俗学で怪異・妖怪を分析する際の論点に人びとの身体感覚がある。例えば、怪火を例外として、前近代の妖怪体験には聴覚によるものが目立つ。呼び声や歌、生活音や作業音「だけ」の妖怪が各地にある。それは異音の解釈に人びとが関心を向けていたということで、夜の闇が濃かった昔は、必然的に耳による体験に説明すべきものが多かったのだろうなどと考えていたが、そうではないかもしれない。真っ暗闇のなかでも、鮮やかな幻を人は視認できる。そもそも、妖怪と幽霊は事情が違う可能性もあるが、改めて、前近代の幽霊・妖怪の視覚性という問題を、脳科学的にあり得る幻覚のかたちを念頭に再検討するのも面白そうである。

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 ところで、本書は「怖い」本である。幽霊を「幻覚」として説く著者は、つまり、睡眠障害などの条件さえ揃えば、私たちが「存在しないもの」と交流し得ることを論証している。出来事それ自体は存在しないとしても、私たちはその偽りの出来事を感覚することから逃れられない。こんなに恐ろしいことはないと思う。コテコテの幽霊に襲われることなどあり得ないと信じて今日まで生きてきた。それはおおむね正しそうだが、にもかかわらず、私はいつか、最高に凶悪な幽霊と、想像力のゆるすかぎりにおいて最悪なかたちで、出会い得るようである。

 そこまで考えが至って背筋が寒くなっている。私は慢性的な睡眠不足で、今日も明日も明後日も、おそらくあまり寝られない。

 そろそろ私も、なにか見てしまう気がする。

ふるやひろかず/1956年生まれ。脳神経内科医。鹿児島大学医学部卒業。2013年、高知大学医学部に神経内科学講座を立ち上げ初代教授に就任。22年定年退官。古賀病院21脳神経内科に勤務。専門はパーキンソン病などの神経・筋疾患。脳と怪談に関する論文を多数執筆。
 

おいかわしょうへい/1983年北海道生まれ。成城大学文芸学部准教授。専門は民俗学。主な著書に『心霊スポット考』などがある。

幽霊の脳科学 (ハヤカワ新書)

古谷 博和

早川書房

2025年8月6日 発売