両親の別居
不仲だった両親は、夫婦喧嘩をすることさえなかった。
「父はいつも無言で、子ども心に僕も、何を考えているのかわからなくて怖いくらいでした。結局父は、喧嘩さえしないから、ある日突然『バーン』って爆発しちゃったと思うんですよね……」
優等生だった工藤さんは、大学受験を控えていた高3の秋に、それまで第一志望としていた大学を、地元の大学から東京の大学に変更する。
「母に話したら『いいじゃないの!』と喜んで応援してくれたのですが、父には『お前にいくらかけたと思ってんだ!』みたいなことを言われて大反対されましたね。父としては、やっぱり僕を地元に置いておきたかったんでしょうね、きっと。でも僕は、みんながそこに行くのが嫌で、どうしても地元から出たくて……」
工藤さんは父親の反対を押し切り、東京の大学を受験。そして見事合格した。
ところが、工藤さんが東京で寮生活を始めてすぐのこと。妹から父親が家を出て行ってしまったという連絡が入る。
「父は家族の誰にも言わず、実家からバスで30分ぐらいのところにマンションを買って、そこで一人暮らしを始めていました。あとで分かったことなのですが、僕や妹の生命保険を解約してお金をかき集めて、マンションの頭金にしたようです。その後、自分の退職金でローンを完済していました。最後に荷物を取りに来た父に、祖母が『帰ってらっしゃい』って声をかけたのですが、もう完全に無視だったみたいです」
工藤さんの父親は、子どもたちのことは大事にしていた。中でも男の子である工藤さんをとりわけ可愛がっていたように筆者は感じた。そんな工藤さんが東京に行ってしまったことで、“自分がここにいる意味”を見出せなくなったのかもしれない。父親にとって工藤さんは、居心地の悪い家庭と自分とを繋ぐ、まさしく“かすがい”の役割を果たしていたのだろう。
「多分、それまでの結婚生活の中でもずっと、父は家を出たいと思っていたんでしょうね。何かきっかけが欲しかったのかもしれないと思います」
寝耳に水な知らせ
1994年。東京の大学で3年間学んだ工藤広伸さんは、4年生になると就職活動を開始。冒頭につながる。
満足いく就職が叶わなかった工藤さんは、3年後に転職。その会社のプロジェクトで、後の妻となる女性と出会った。
工藤さんはそのプロジェクトが終わるやいなや2度目の転職を果たし、その2年後の2003年、30歳の時に結婚。
仕事もプライベートも順風満帆な工藤さんだったが、結婚からその4年後、寝耳に水な知らせが入る。