順調にキャリアを重ねている最中、突然親に介護が必要になったら、あなたならどうするだろうか。

 現在「介護作家・ブロガー」として活躍する工藤広伸さんは、34歳と40歳の時に介護離職を経験。1度目は半ばパニック状態となっての離職だったが、2度目の離職は「渡りに船だった」と語る。遠距離で祖母と母親のダブル介護というハードな状況を経験した工藤さんは、危機的状況をどのように乗り越えたのだろうか。(全3回の1回目/続きを読む

 バブル崩壊後の景気低迷期、1990年代半ばから2000年代初頭に就職活動を行った世代は「就職氷河期世代」と呼ばれる。該当するのは、主に1970年代前半から1980年代前半の約10年間に生まれた人々だ。この連載では、社会の犠牲になったと言っても過言ではない彼ら彼女らがどう荒波を乗り越えてきたのかにスポットを当て、「令和」を生きる私たちがいまをサバイブするヒントを探っていく。

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就職氷河期世代の洗礼

 1994年。東京の大学で3年間学んだ工藤広伸さんは、4年になると就職活動を開始した。

「大学の就職活動の頃は、『やっぱり大手で安定したところがいいな』みたいなことくらいしか考えていませんでした。しかも当時は就職氷河期だったので、だからこそ安定した食品系の会社がいいだろうと思ったんです」

 食品系の会社に絞って就職活動を進めた工藤さんだったが、10社ほど落ち、「もうダメだ……」と絶望しかけたところで小さな食品会社に採用。1995年に入社した。

写真はイメージ ©AFLO

「同期が3人しかいなくて、今はもうないんですけど、誰も知らないような小さな会社でした。でも今思うと、逆にそういう会社に入ったから、入社した瞬間から『いや、このままじゃいけない』という気持ちをずっと持てたのかなと。最初は工場勤務になったのですが、『なんで俺、こんなことやってんだろう』ってずっと思っていましたから」

 3年後、工藤さんは転職する。

「いわゆる第二新卒枠で、2社目はまあまあ大きい会社に入社しました。コンサル系の会社だったのですが、その会社での経験を活かして2年後に再び転職し、キャリアや年収を上げていきました」

 コンサルの会社のプロジェクトで、後の妻となる女性と出会う。

「システムの仕事を2年ぐらいやったんですけど、あの頃はきつかったですね。完全なるデスマーチプロジェクトっていうか、兵隊のように働かされていました。今でいうブラック企業ですが、その頃はどこもそんな感じだったんですよ。『何ヶ月休まなかったんだろう?』というぐらい働いていましたね……」