順調にキャリアを重ねている最中、突然親に介護が必要になったら、あなたならどうするだろうか。

 現在「介護作家・ブロガー」として活躍する工藤広伸さんは、34歳と40歳の時に介護離職を経験。1度目は半ばパニック状態となっての離職だったが、2度目の離職は「渡りに船だった」と語る。遠距離で祖母と母親のダブル介護というハードな状況を経験した工藤さんは、なぜ「就職氷河期世代でよかった」と言ったのだろうか。(全3回の3回目/最初から読む

現在の工藤広伸さん 本人提供

 バブル崩壊後の景気低迷期、1990年代半ばから2000年代初頭に就職活動を行った世代は「就職氷河期世代」と呼ばれる。該当するのは、主に1970年代前半から1980年代前半の約10年間に生まれた人々だ。この連載では、社会の犠牲になったと言っても過言ではない彼ら彼女らがどう荒波を乗り越えてきたのかにスポットを当て、「令和」を生きる私たちがいまをサバイブするヒントを探っていく。

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40歳からの遠距離介護

 89歳の祖母が「アルツハイマー型認知症」の上に「子宮頸がん」で要介護3と診断され、「シャルコー・マリー・トゥース病(CMT)」という難病を抱える69歳の母親に「アルツハイマー型認知症」が確定すると、工藤さんは1年1ヶ月勤めた5社目の会社を介護離職した。

 7年前、父親の脳梗塞の時に介護離職し、「半ばパニックで辞めてしまった」と語っていた工藤さんだが、再び介護離職を選択したのはなぜだったのだろう。

「1回目の介護離職で1年半のブランクができて、なんとか再就職した時に、『次は祖母の介護が始まるから、副業や貯金を真剣に考えておかないといけないぞ』と思ったんです。それで色々と準備をしていたため、2回目は冷静に対処できました。なのになぜ介護離職を選んだのかというと、単純に辞めたかったからです」

 1回目の介護離職の時は「やりたいことがあるので」と嘘をついて辞めたが、2回目は「祖母と母の介護のため」と本当のことを言って辞めた。

「1回目の介護離職をして再就職したあとに、複数ある転職経験を活かして『転職ブログ』を始めて、副業みたいに収入を得ていたんです。それで一応ノウハウは蓄積されていたので、2回目の介護離職では『介護ブログもいいかも?』と思いました。でもその時、理由はわかりませんが、『お金を稼ぐため』というよりは、『誰かのために役に立ちたい』みたいな気持ちの方が不思議と強くありました」

 子宮頸がんで入院した祖母は、ベッドから落ちて大腿骨を骨折してしまった。工藤さんが東京から駆けつけると、その病院では大腿骨の手術ができないため、転院の手続きをするよう説明される。祖母を転院させ、手術を受けさせたあと、「さあ、東京に戻ろうか」となった工藤さんは閃いた。