就職氷河期で良かった
その間も工藤さんの介護ブログは順調にアクセスが増えていた。
「始めて2年半くらいたった頃にブログのコンサルタントに相談したところ、『Amazonでキンドル本を作ってみては』というアドバイスをもらいました。出してみると、思ったよりも売れたので、出版エージェントに応募し、商業出版につながりました。以降、1年に1冊くらいのペースで本を出しています」
8年前から工藤さんは、プロフィールを「介護作家・ブロガー」とした。現在は介護の本を7冊出版し、全国各地の企業や団体から介護に関する講演の依頼が来る。
「今思えば、就職氷河期で良かったと思っています。新卒の就職で成功しなかったから、『このままじゃいけない』って思えたので。おかげで、転職してキャリアを上げていくことも、在庫管理や需要予測や商品開発など、さまざまな仕事を経験することもできました。これまでやってきたことは、全て今に生かされていると思います」
40歳の時、介護離職でキャリアを手放す選択をしたことを、工藤さんはこう振り返る。
「家族の介護で離職する人のことを、『かわいそう』という目で見る人もいて、実際に言われたこともあります。しかし僕は『渡りに船』と思いました。当時マネジャー職だった僕は、入ってまだ1年ちょっとでしたが、不毛な会議や社内調整にうんざりしていて、『いつか転職したい』と考えていたからです。でも1年ちょっとで辞めたら、次の転職は苦労するはず。もちろん退職理由を聞かれます。でも『介護離職』なら、次の就職先にも納得してもらいやすいですよね」
つまり、多くの人がネガティブに捉える介護離職を、チャンスだと考えたのだ。そのおかげで工藤さんは介護作家・ブロガーという仕事に就けた。だから「渡りに船」だった。
多くの介護の本には、「介護離職は避けましょう」と書かれている。当の工藤さん自身も、「僕みたいにパニックを起こして介護離職しないでね」と著書や講演で伝えている。だがその一方で、このように話す。
「仕事のモチベーションが上がらない状態で介護との両立を図ろうとすると、自分がさらに疲弊します。でも好きな仕事、やりがいのある仕事、楽しい仕事であれば、介護の辛さは相殺できると思うのです。僕は今、それが実現できています」
筆者は2019年に父が脳梗塞で倒れ、子育てと介護の「ダブルケア」を経験したことを機に、介護の取材を100本近く行ってきたが、確かに介護の他に子育てや仕事をしていて、「仕事が息抜きになる」「子どもに癒される」という人は少なくなく、自分自身もそうだった。
「会社員になってから働いてきた約18年間、ずっと『天職って何だろう?』と自分に問い続けてきました。不動産投資や株、FXなどの勉強をしたこともありましたが、今はこの仕事が天職だと思っています。最初の就職に満足できず、若い頃から小さなチャレンジを繰り返して、たくさん失敗してきたからこそ、辿り着けたのだと思います」
就職氷河期世代だったからこそ、天職である「介護作家・ブロガー」になれたとも言えるかもしれない。
