プラトニックな“一生の恋”から大人のラブロマンスへ…
朝田家の次女として慎ましく生活していた蘭子は、家業である石材店の住み込み職人・豪(細田佳央太)に恋をした。が、戦争がはじまって豪は出征してしまう。彼が出発する前に、お互いの思いを確認しあったふたりは、母・羽多子(江口のりこ)のゆるしを得て一晩ふたりで過ごす。蘭子と豪のピュアな恋。プラトニックなのに、河合優実が田中裕子か山口百恵かというほどしっとりと色っぽく、目が離せなかった。
豪が戦争から無事帰ってくるように彼の愛用の半纏に祈りを捧げていたが、悲しいことに彼は帰ってこなかった。「一生一度の恋だった」とその後、恋をせず、まして結婚もせず、映画評論などを手掛けるライターとして身を立てる。それが終盤になって、戦争で妻子を亡くした八木と孤独が響き合いはじめる。
戦災孤児にぬくもりが必要だと言う八木に「そういう八木さんを、誰か、抱きしめてくれる人は……」と意味深なことを囁き、年上の八木の心を揺らす。蘭子に惹かれることが止められなくなった八木と雨の中、ひとつ傘の下で……。傘の柄に手を重ね合ったふたりの湿度の高さに、視聴者も華丸も『あさイチ』の鈴木奈穂子アナもにやにやしっぱなしだった。
そして、第127回で、ついに蘭子は八木を抱きしめる。まるで蘭子のほうが年上のようにも見える圧倒的包容力だった。
河合優実はあっさりした目鼻立ちで、表情もどちらかというと乏しく見える。にもかかわらず、ものすごく印象に残るのだ。なぜか。河合優実は実にさりげなく「見せる」芝居をしているからだ。
いわゆるテレビドラマで話題になる顔芸やオーバーアクトはしない。だが、内面重視のナチュラルな演技をする俳優に位置づけられるかと思うと、実はそうでもない。
代表的なものが、豪に告白されたときの動きだ。手を頭に当てて小首を傾げる仕草を河合はした。決してナチュラルな動きではない。でもその違和感によって印象度は確実に上がったのだ。当人にこの仕草について聞いたところ、台本では、後退りすると書いてあったが、うまくできなかったので、ディレクターと相談した結果、困惑を表現するために手の仕草を考えたそうだ(出典:「プラスアクト」2025年10月号)。
件のシーン以降、気にして見ていると河合優実はわりと手を使う。例えば、のぶと嵩のささやかな結婚パーティーでふたりを迎えるとき河合は飾りつけの紙テープのようなものを手にして軽くにぎにぎしている(第90回)。また、久しぶりに会ったヤムの話を聞くにあたり両手を前で重ねているが、肘の角度に意識を感じる(第123回)。他の回では腕組みしていることもあった。極力手持ち無沙汰や棒立ちになることを避けようとしているように思う。
中には、感情さえ心に持っていれば何もしなくても伝わるという方法論の俳優もいる。だが、河合のように身体を使って情報を伝えてくれると、やっぱり印象に残るのだ。それはおそらく彼女がダンスという身体表現を10代の頃から経験していたからであろう。
さらに河合は、松尾スズキ作・演出の舞台に出たときに「デフォルメする」ことを学んだという。そう聞いたとき河合優実がなぜ印象的なのか、その秘密に少し近づけた気がした。華丸が蘭子の仕草につい言及してしまうのも、彼女の「デフォルメ」の力に目がいっているからではないだろうか。




