長くは生きられないだろうと…

 ただ私は、かねてから警察官が警察官を守るということに一種の違和感を持っていました。警察庁長官というのは、ある意味でシンボリックな存在である以上、一定の警備が必要でしょう。しかし、それは常に控えめでなければならないというのが私の基本的な考え方でした。

 要するに、私は、地下鉄サリン事件前後の一種異様な雰囲気を察して、すこし危ないかなとは思っていたものの、めったなことはあるまいと事態を軽く見てしまっていたのです。

警察庁本部庁舎 ©show999/イメージマート

 私の銃撃事件については、さまざまな方面から、いろんな論評をもらいました。そのなかで一番印象に残っているのは、批評家の福田和也さんのご意見です。福田さんは、「なぜ日本人はかくも幼稚になったのか」(「新潮45」1996年5月号)という論考のなかで、私のことに触れ、「一国の治安の最高責任者が、平時ならいざ知らず、地下鉄事件の後の厳戒態勢の下で、撃たれてしまった」、これは「不覚」なことで、「戦前の人だったら切腹自決していたのではないでしょうか」と述べています。そして、昭和2(27)年の南京事件の際、日本領事館を革命軍によって蹂躙された責任をとって自決を図った荒木亀男海軍大尉の故事と比較して、「世間の反応や当事者の対応が、往時といかに違うか。そしてそこで失われたものは何なのか」と問いかけていました。

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 この福田さんの所論は、鋭い警句にあふれ、正直言って、ズシンと胸にこたえました。福田さんのご指摘のとおり、国民生活の安全を守ることを責務とする警察の親玉が撃たれてしまっては、こんなにも「不覚」なことはありません。私自身も、手術後、集中治療室のベッドの上で身動きもできずに横になりながら、辞めることばかり考えていました。自責の念にとらわれていたことと、これは長くは生きられないだろうという予感もあったからです。

※本記事の全文(約9000字)は、月刊文藝春秋のウェブメディア「文藝春秋PLUS」に掲載されています(國松孝次「オウム真理教事件『一生の不覚でした』」)。全文では下記の内容をお読みいただけます。

管轄権の壁
・長くは生きられないだろう
・名状しがたい悲痛な驚き
・警察庁の論理と捜査の本質
・狙撃事件の捜査は0点

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