この世界にある多様な言葉の在り方

 市川さんは続けて、この作品を書き上げたご自身の(たぐい)まれな文章力に強者の〈罪悪感〉をお感じになり、作家という立場にもかかわらず〈私は言葉というものを信じていません〉と断言される。まあ、なんと天邪鬼な人だろう……と拝読していて思わず笑ってしまいました。ただ私は、作家・市川沙央が言葉への不信感を明言されたことに、実はあんまり驚いてはいません。たぶん、そうなのだろうな、くらいに思っています。

 市川さんがおっしゃる言葉とは、いま私との間でやりとりしているこれ(・・)のことですよね。膨大な情報量を素早く効率的にやりとりするための言葉。あるいは、そうした言葉が知性や能力を誇示するために自己顕示的に、あるいは暴力的に使われる状況。そうしたものへの不信感が、お手紙にあった〈くだらない。〉の一言にこもっているのだと思います。たしかに、文学や本やSNSといったものが、そうした強権的な言葉の発露の場や道具として使われている、という側面は否定できないかもしれません。

 ただ、いま私たちがやりとりしているこれ(・・)も、この世界にある多様な言葉の在り方の一つでしかないんですよね。大学院生時代、たびたび障害者団体の集会に足を運んだり、ケアの現場を見せてもらったりしていたのですが、そこで感じたのは、私がアカデミアで鍛えてきた(つもりの)言葉も、実はこの世界に存在する多様な言葉の一つでしかないのだ、という不思議な引け目と、それ以上の解放感でした。例えば、ALS患者が用いる透明文字パネルのように、介助者との共同作業によって一音一音編み上げられていく言葉もあれば、知的障害の人たちの中にも、蓄積された信頼に基づいて経験的かつ感覚的にコミュニケートできる言葉があったように思います。

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 こうした言葉は効率性や利便性やスピード感(これらも〈健常者優位主義〉の価値観なのですが……)という点ではどうしても難しいところがあるのですが、人と人とが信頼を紡いでいく営みにおいて、決してこれ(・・)より劣っているとは思えません。私自身、脳性麻痺で言語障害のあった花田春兆(はなだしゆんちよう)(俳人、障害者運動家、一九二五~二〇一七年)の付き人をしていたことがあるので体感的によくわかります(市川さんが〈ケアで成り立つ障害者の世界のほうが、よほど人間性の防波堤になりえている〉とおっしゃるのも、こうした言葉の在り方と関わっているのでしょう)。にもかかわらず、どうしても世間一般的には、情報伝達において効率のよい言葉が強者性を誇り、そうでない言葉は弱者性を押し付けられてしまうようです。

『ハンチバック』の〈釈華〉も、iPadなどの情報通信機器に支えられることで文字言語(文章)は比較的不自由なく力を発揮できる一方、音声言語(会話)は障害や人工呼吸器による制約を受けることで不自由があり、自身の創意工夫と介助者との関係性を積み重ねる中で成り立つ独特なコミュニケーションが存在しているのだと思います。その意味では、彼女は文字や文章の面では言葉の強者性をもち、音声や会話の面では弱者性を抱えながら生きているのかもしれません。〈釈華〉と〈田中さん〉の間に強者性と弱者性の流動的な転換があったように、〈釈華〉という一個人の中にも言葉の強者性と弱者性とが複雑に混在しているように思います。〈釈華〉と市川さんを単純に同一視するつもりもないのですが、もしかしたら作家・市川沙央も、こうした言葉の二面性を生きてきたのではないか。そして、その引き裂かれ感の中で天邪鬼の(きば)()ぎ澄ましてきたのではないか……というのは、私の勝手な推測でしかないのですが。

 文学はいかにも言葉の王様然としたところがあるのですが、これまで文学を編み上げてきた言葉も、多様な言葉の一つでしかないのだと思います。個人的には、文学にもっといろいろな言葉(の使用者)が参入してきたら面白いのに、なんて考えています。もちろん、多様な言葉の参入は、ある面ではすでに試みられてきましたが(狭義かつ特権的な「日本語」以外の参入など)、これからは様々な身体から紡ぎだされる個性的な言葉でもっと文学が書かれてほしいですね。『ハンチバック』を読みなおし、改めてそう思いました。

 最後に、ごめんなさい、突然「友だちモード」になります。北條民雄の本へのコメントありがとうございました。市川さんの芥川賞受賞に伴う取材で、複数の記者から何度か北條の名前が出てきました。「どうしてそんなに市川さんと北條を比べたがるのか……そんなに障害者・難病者の作家って少ないのか……」などと思っていたのですが、ならば前々から書こうと思っていた北條民雄の本、市川さんに帯文を頼んでしまおうと考えた次第です。市川さんが彼に強烈な共感性羞恥を覚えたというお話、どう考えても面白いので、ぜひ今度ゆっくり聞かせてください。

荒井 拝

(七月七日 七夕の夜に)

荒井氏の新刊『無意味なんかじゃない自分 ハンセン病作家・北條民雄を読む』(講談社)には、市川氏が帯文を寄せている。

ハンチバック (文春文庫)

市川 沙央

文藝春秋

2025年10月7日 発売

女の子の背骨

市川 沙央

文藝春秋

2025年9月26日 発売

凜として灯る

荒井 裕樹

現代書館

2022年6月21日 発売

最初から記事を読む 私たちの誰もが「弱者」であり「強者」。その相対性の自覚が相互理解につながることを、絶対に忘れないでほしい