「ワシら真人間にされてしまいまっせ」

 たまらず、私は坊さんの隙を見て親分に聞こえるよう小声でつぶやいた。

「こんな話、毎月聞かされとったら、ワシら真人間にされてしまいまっせ」

「せやけど、どないせい言うんじゃ」

ADVERTISEMENT

「次回から『ベンサム』に行きまひょ。あそこなら自由に話ができるんですわ」

「ベンサム」とはキリスト教系カトリックの宗教教育で、教誨師を外国人のベンサム神父が務めていたことから、通称「ベンサム教会」と呼ばれていた。

写真はイメージ ©getty

 外国人のせいか日本の宗教関係者のような堅苦しいところがなく、講説中の私語も自由で、何よりケーキとお茶が振る舞われることで受刑者に大人気なのであった。

 翌月、私たちはベンサム教会で落ち合い、ようやく親分と気兼ねなく話をすることができた。ケーキをおいしそうにほおばる親分の、あの少年のような笑顔がいまでも忘れられない。

 コワモテで知られている正久親分だが、そのような一面もあるということを書いておきたかった。

最初から記事を読む 「この馬とこの馬はいかさんようにしたから」騎手が“ヤクザの女”に手をだしてしまい…ヤクザが「競馬の八百長」を仕組めた“生臭い理由”