戦地よりも貧乏のほうが苦しい? 経験しないとわからないこと

頭木 病院ではよく「どちらの病気のほうが大変か」という不幸比べが始まってしまうんですが、これは勝っても負けても落ち込むんです。不幸比べは不毛だと実感しました。究極、世界でいちばん不幸な人しか嘆く資格がないことになりますし、そのひとりになりたくはないですよね。ですから、他人と自分の不幸の比較はできないと思うようになりました。ご飯が食べられない悲しみと、ケーキが食べられない悲しみは、一人の人がその両方を体験したとしたら、天と地の差がありますが、AさんとBさんがそれぞれに苦しんでいるとしたら、それは比較できないと。

川上 人間はみんな一つの体を生きてきて、代わりに死んでくれる人も、痛みを引き受けてくれる人もいない。自分や他人の痛みを味わうことのできる人は、原理的に存在しないので、比較することができないということは、よくわかっているんです。でも「最近、ハワイに行けてなくて辛い」と「ベッドから起きあがることができなくて辛い」は、やっぱり違うような気がする。一人の人が両方を体験してからじゃないと、この違いに説得力を持たせることはできないのでしょうか。

©AFLO

頭木 確かに、体験しないとわからないことというのはありますよね。

ADVERTISEMENT

 私が衝撃を受けたのは、水木しげるさんの自伝でした。水木さんは戦時中、南方の第一線に送られて、ラバウルで非常に大変な経験をされています。仲間がワニに食べられたり、部隊が全滅したり、病気や飢えで死にそうになったり。なんとか奇跡的に生還できて、「生きてるというただそれだけのことがムチャクチャにうれしかった」そうです。それなのに、同じ戦場から戻った戦友たちの中には、生活苦で自殺する人がけっこういたそうなんです。

 これにびっくりしました。戦後の社会が厳しいとはいえ、戦場に比べれば、貧乏のほうがまだましなのではないかと思ってしまいます。でも、水木さん自身も「長年の貧乏は、あの半死半生の目にあった戦争よりも苦しいほどで」と書いておられます。両方を経験した人の言葉ですから、これは重いですよね。

川上 あれだけ凄絶な経験をした石原吉郎が「詩にとって大切なものは何か」というようなことを訊かれて「リズム」と答えたという話に通じますね。しかし、痛みに限らず、自分の感じていることを言葉にするという発想を持っている人は、日本のパスポート所持率と同じくらいなんじゃないかと感じています。40%くらいだと想像していたんですが、実は17.3%しかいない。

頭木 そんなに少ないんですか。

川上 はい。意外性も含めて、このパーセンテージが絶妙で、色々なことにパラフレーズできるんじゃないかと思っています。私たちは文章を書いたり読んだりする業界にいるし、SNSに短文を載せたりもしているけれど、じつは、ほとんどの人って言葉にしない。文章にする人って、ほとんどいないんです。プライベートで知人と話していてもそう感じます。

頭木 自分の体験を言葉にするのは難しいですよね。言葉にしないか、借り物の言葉で間に合わせるかになってしまいがちですね。

川上 そうなんです。話す必要があるときは、テンプレートな表現や言葉を使って話すから、紋切り型の物語がどんどん再生産される。そういう方は「偽物です」なんて言われると、どうしていいか困ってしまうと思います。テンプレの外にある言葉だから。(中略)