中国という国を平易に理解する。これは容易なことではない。しばしば専制的であると批判されるかの国の政治体制は、その歴史風土のなかで、広大な国土と多すぎる人民を統治するうえでなかば必然的に導き出された結果である。
現在の中華人民共和国の領域には、ヨーロッパがほぼ丸ごとひとつ入る。歴史の展開によっては、中国は欧州各国のように数多くの小規模な国家に分かれ、それぞれの地域で異なる民族や言語・文化を維持する地域になっていてもおかしくなかった。ゆえに、中国の体制は本質的には脆さや弱さをはらむ。この脆弱性を解決するために、歴代王朝は儒教と官僚制を整備して皇帝独裁制度をつくりあげ、人民を統治してきた。
現代の中国共産党の統治も、社会主義の看板を掲げているとはいえ、本質的には歴代王朝と変わらない。ゆえに民の心理も、現代化やIT化の波に洗われてはいても、やはり変わらない部分がある。
本書において著者は、中国に生きる人々を「中国大陸に踏み立つ人」と定義し、「日本という列島に踏み立つ人」である日本人と対置する。そのうえで中国と中国人を、半永久的に隣に鎮座する「別物・別者」であると主張する。
大陸と島国で本質的に骨格が異なる他者同士は、敵でも味方でもなく、互いに欠けたものを持つ者同士。ゆえに相互補完の関係にある。排外主義は日本の国益にも日本人の幸福にも結びつかない(むろん、法整備は必要とはいえ)。それが著者の意見である。
ゆえに日本人は、この他者を理解する必要がある。著者はこの課題に対して、中国や中国人を30のトピックに分けた「変臉(ビェンリェン)」(貌の変化)で描き出す試みをおこなっている。
中国に特有の、「大きいもの」に対するあこがれや大雑把さ。広大な空間の中で他者を信じきれず、常にリスクにさらされる社会環境が生み出す、互いの不信感や「我」の強調。それによって中国人の多くが抱える孤独感。
敗者に同情する発想が希薄で、勝者総取りの原理が横行する「一人勝ち社会」。信じられるものがすくない世界で、信仰の対象を経済的成功や現世利益に見出す「カネ教徒」にならざるを得ない精神性。
古代の皇帝制度からの延長線上にあるとされる政治体制と、外交や内政の姿勢。さらに北方と南方という地域性や、激動の現代史ゆえに生じている深刻な世代間ギャップといった、社会の分断と多様性――。
著者は長年の中国ウォッチャーとしての立場、そして豊富な現地経験から自在に持論を展開する。やや通俗的に流れる記述もあるが、一般読者の中国理解を導くためにはやむを得ないと考えるべきだろう。
他者である中国をどう理解して向き合うか。著者の提示する「補完関係」の視点を、どう具体化するかは大きな課題である。
こんどうだいすけ/1965年生まれ。講談社入社後、北京大学に留学。東アジア取材をライフワークとする。講談社北京副社長を経て、『現代ビジネス』コラムニストなど。著書に『進撃の「ガチ中華」』ほか多数。
やすだみねとし/1982年、滋賀県生まれ。紀実作家。著書に『八九六四 「天安門事件」は再び起きるか』ほか。
