――作中の「『匿名性』という禁断の果実」という言葉も印象的でした。

塩田:SNSでの誹謗中傷をもっとも増幅させるのが、やはり「匿名性」です。面と向かっては絶対に言わないことを簡単に書き込んでしまう。小説にも書きましたが、匿名性とは「悪意の免罪符」ではなく、「人間の成熟度をシビアに測る物差し」なんです。

 個人で発信できるようになったこと自体は、マスメディアが情報を独占していた時代の反動でもあり、素晴らしい側面もたくさんあります。ただ肝に銘じておきたいのは、「何でも言える環境を手に入れた」だけで、「何を言ってもいいわけではない」ということ。発言には常に責任が伴う。これが基本だと思います。

ADVERTISEMENT

直木賞候補作としても話題を呼んだ 🄫文藝春秋

警察への20回の電話

――そんな塩田さんのメッセージを託されているのが、本作の重要人物である音楽プロデューサーの瀬尾政夫なのかなと感じました。彼は逮捕こそされますが、作中で最も思慮深い人物という印象を受けました。

塩田:私は常々、美学というものは磨かないと腐ってしまう。磨かないなら持たない方がましだと思っています。瀬尾は、そんな美学を磨き続けている人間として書きたかったんです。

 彼は自らの理解が及ばない時代が来たときに、それでも譲れない美学を守ろうとする。それがきっと世の中の本質に通ずるはずと信じ、警察に捕まることも含めてあらゆる不利益を受け入れるわけです。自分の意見を述べるほどに自滅していくジレンマを抱えながらも突き進む姿は、匿名性に対するアンチテーゼです。

 

――瀬尾が法廷で語るシーンは、非常に熱がこもっていました。

塩田:実は、当初のプロットに裁判のシーンはありませんでした。でも、書いているうちにどうしても瀬尾に語らせたいという思いが強くなり、急遽書くことにしたんです。いい小説というのは、書いている作者自身に気づきがあることだと思っています。瀬尾の持つ言葉をもっと引き出した方がいいだろう、とメモを増やしていった結果ですね。

――塩田さんの作品はどれも、膨大な取材に裏打ちされているのが分かります。新聞記者時代と今とで、取材において大切にされていることに変化はありますか?

塩田:新聞記者になっていなかったら、小説家にはなれなかっただろうなと思います。記者1年目の頃、現場に行かずに原稿を書いてデスクに送ったら、一発で見破られました。デスクから次々と質問が飛んでくるけれど、何も答えられない。その度に警察に電話して確認するのですが、デスクもそれをわかっているからわざと一気には聞かないんです。「お前の取材がそれだけ足りていないんだ」と叩き込むために。

 最終的にひとつの原稿を仕上げるために20回くらい電話して、もう嫌だ、これなら現場に行った方が早い、と。

――厳しい指導ですね。

塩田:でも、やはり現場に行くと情報量が全く違います。現場を見ずに書いた原稿は、少しの情報を引き伸ばそうとして薄くなります。でもきちんと聞き込みをして書こうとすると、集まった膨大な情報をぎゅうぎゅうに絞り、むしろその1滴、2滴を絞って原稿にしていくことになる。自ずと、まったく密度の異なる文章ができあがるんです。プロが書くべきはこれなのだと叩き込まれました。