――原型だから、相性がいい。

塩田:はい。少し古いデータですが、ロイター通信の研究所が先進国の情報消費を調査したところ、日本ではエンタメ系のいわゆる「軟派記事」が圧倒的に読まれているという結果が出ました。コンテンツ大国ですし、政府もエンタメ産業を基幹産業にしようとしていますから、この傾向はますます強くなるでしょう。そのような記事がどんどん作られ、SNSで一部が拡散されたり、再び記事になったりを繰り返す。週刊誌とSNSの境界は、どんどん曖昧になっていくだろうと思います。

誰もが“マスゴミ”になるかもしれない

――作中では「情報を発信する前に『ブレーキ』を踏むべきだ」と書かれていますね。

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塩田:昔の紙媒体の時代が「水溜まり」だとしたら、現代の情報社会は「滝つぼ」です。ひとたびSNSに何か書かれれば、もう這い上がれないくらい滅多打ちにされてしまう。だからこそ、情報を発信する一人ひとりの意識を変えなければいけません。

 自分の信じたい情報だからといってすぐに拡散するのではなく、その前にまず「ソースはどこか」「過剰な表現はないか」「勝ち負けにこだわっていないか」と一旦立ち止まって考えてみる。すでに炎上していることについてなら、「さらに自分が便乗する必要はあるのか」と考える。あるいは「もし身内がこうなったら、果たして自分は拡散するだろうか」と想像してみる。

 これを意識するだけでも、だいぶ違うのではないでしょうか。

膨大な取材メモや構成案をファイルに分類 🄫文藝春秋

――塩田さんご自身はSNSでの発信はされていませんね。

塩田:数年前まではFacebookとInstagramのアカウントを持って、ある程度投稿もしていたのですが、一言で言うと「しょうもない」んですね(笑)。何かを伝えようとすると、調べたり、より面白い文章にしようと考えたりして、もう仕事になってしまう。内容よりも投稿すること自体が目的になってしまっていたので、これはプラットフォームの思うツボだなと。私のリズムには合わなかったという感じです。

――SNSとの距離感が大事ですね。

塩田:『歪んだ波紋』を書いた時からずっと感じているのが、情報を公開することの重みです。よく「マスゴミ」と言いますが、個が集まればもう「マス」になっている。自分が発したことに賛同者が得られて大きくなれば、それはもうマスなんです。自分もマスゴミになる可能性がある、ということは認識しておきたいですね。

ポイ捨ては罰則に、容姿には言及せずに

――人間はこの先、SNSを使いこなせるようになるのでしょうか。

塩田:私は基本的に楽観的な人間なので、不可能ではないと思っています。価値観というのは、自分たちが思っているより早く変わっていくものです。私が育った昭和54年代の下町では、タバコのポイ捨ても当たり前でしたけど、今は罰則がありますよね。10年くらい前までは、人の容姿をあれこれ言う人はたくさんいましたけど、今では誰かがちょっと何か言っただけでヒヤヒヤする。

 同じように、SNSで個人を対象にネガティブな情報を発信することにみんながヒヤヒヤする状況になれば、社会は前進していると捉えていいのだと思います。もちろん法整備なども必要になってくるでしょうが、真面目な国民性でもありますし、決して夢物語ではないと思います。