――記者の仕事は「事実(実)」を書くことですが、小説では「物語(虚)」を紡ぎます。
塩田:300年前に近松門左衛門が「虚と実の間に面白いものがある」と言っているのですが、私も常に「虚実の間」に身を置きたいと思っています。記者時代は「実」しか書けませんでしたが、書けなかった「虚」の部分にこそ人間ドラマがある。「実」を書く記者である以上決してできないことでありますが、これ(=「虚」)を書けばもっとテーマが深まるのに、と思いながら取材することもしばしばでした。虚と実を行き来する感覚は作家になった今、さらに養われていると思います。
「良質な孤独」を求めて
――物語の中盤、歌手・奥田美月の幼少期のパートでは過酷なトラウマの元となる体験が描かれます。現代のSNSでの誹謗中傷とはまた違う、生々しい暴力です。
塩田:取材をしていると、この世には白も黒もなくて、私たちはグレーの中に生きていると切実に感じます。それにもかかわらず過剰な正しさを訴えることは、この世を「無菌状態」にしようと宣言しているようなものです。
“正しさ”を求める姿勢の奥には、相手を言い負かしたい、打ち負かしたいという「征服欲」や「支配欲」を感じます。昨今、その支配欲がいびつな形で自己肯定感につながっているのではないかと感じます。
奥田美月の回想ではひとつの家族が他人に暴力を使って乗っ取られる様を書きましたが、こうした暴力による支配と、SNS上で他人を打ち負かしたいという支配欲は根底で地続きなのではないでしょうか。
「許せない」と思って情報を発信するとき、多くの人は自分が正義の側に立っていると思っている。でも、その発信によって今度は自分が誰かを傷つけることもありますよね。だからこそ、正義感の中にも常に自らを疑う目を持っておきたいなと思います。
――最後に、SNSが発達し当たり前に恐ろしい言葉が飛び交うこの時代を私たちはどう生きていけばいいのでしょうか。
塩田:SNSによって「個」が尊重され、あらゆる局面で1人でも生活が完結できるようになった今、その時間をどう過ごすかが極めて大事だと思います。特に感じるのは、いかに「良質な孤独」を得られるかということです。
――良質な孤独ですか。
塩田:孤独というとネガティブなイメージがありますが、「良質な孤独」をいかに作っていくかはとても重要で、その時間は「オフライン」にこそあると思っています。私たちは日々、あまりに多くの情報に晒されていますが、1日に一度、そこから途中下車する。本を読んだり、映画を観たり、旅に出たり。物に触れて、質感を大事にすることもいい。時の流れははやくなるばかりですが、その流れに乗らなければというのはただの思い込みです。
オフラインの時間を持ち、「自分」という確固たるものを持っておく。それが、これからの時代を冷静に生きていくために重要なことだと思います。
(フル動画『塩田武士が描く週刊誌の罪とSNSの罰』は、文藝春秋PLUSのYouTubeチャンネルでご覧いただけます)