「就職決まってないんだったら、芸人養成所に行ってみない?」
――漫才の道に誘ったのはどちらからなんですか?
小宮 僕からです。もともとは高校の文化祭で漫才やったんです。それがきっかけ。あ、でも最初はトリオで相田の他にもう一人いたんです。高2の文化祭でネタやって、まあまあウケたんですけど。
相田 今と同じく小宮がネタ考えたんですけど、振り返ってみるとまあ、アレなんですけどね(笑)。3人で意味不明な言葉をワーワー叫んで次の展開行くみたいな、強引な漫才で。
小宮 でも、その漫才が意外といろんな人に認められてて、3者面談で担任の先生が「うん、小宮は漫才師の道に進むといいと思う」って本気で勧めてくれたんですよ(笑)。親は反対してたのに。
相田 で、高校卒業して僕は大学に進んだんですけど、小宮はフリーターになった。付き合いはそれなりに続いてたんですけど、僕が大学2年の時に小宮から漫才やらないかって誘われたんです。
小宮 「就職決まってないんだったら、芸人養成所に行ってみない? 文化祭でもウケたんだし」って。
相田 やりたい仕事もなかったし、興味本位じゃないけど「どれくらい通用するのかな」ってやってみたい気持ちがあって、それで「スクールJCA」という人力舎さんがやってる養成所に入ったんです。
「三四郎、由来は夏目漱石」説の真相
――「三四郎」というコンビ名の由来は諸説あるようなんですけど、経緯はどういうものなんですか?
小宮 養成所の近くにあった公園でいつもネタ合わせしてたんです。それで、いつでも原点に戻れるようにって思いを込めて、公園の名前にちなんだものにしようって決めたんです。公園、「蚕糸の森公園」っていうんですけど、この「蚕糸」の音だけもらって「三四郎」。
相田 「蚕糸郎」ってのも考えたんですけど、まあ数字の方がいいだろうと(笑)。千鳥さん、笑い飯さんが大好きで尊敬してたので、漢字が並んでいる名前がいいなあっていうのはあったんです。それで落ち着きのいい「三四郎」。
小宮 ところが、夏目漱石の『三四郎』の主人公のモデルが小宮豊隆(漱石の弟子)で、僕の名前が小宮だからって、由来は夏目漱石説とか出てきた。あと、僕の親が東大で働いてて、東大には「三四郎池」があるからそれが由来だっていうのもありました(笑)。そっちのほうが博学に見えるから、それでいいやって思ったこともありますけど。
相田 あと「ん」がつくほうが売れるっていう話があって、名前考える時に気をつけました。ウッチャンナンチャンさん、ダウンタウンさん、とんねるずさん、ナインティナインさん。アンタッチャブルさんもそうか。