そして、今にして思えばすごいタイミングですが、ちょうどその頃、私たちの間にも結婚という話が持ち上がっていました。仕事とは関係なく、太田との生活はやっぱり楽しくて、彼といろいろな話をする時間が私にとっては何より大切に思えたからです。「タイタン」の由来になるカート・ヴォネガットの小説を教えてもらったのも、彼が私の家に居着き始めたばかりの頃です。

 周りからすれば些細なことかもしれませんが、コンピューター占いで「相性100%」という結果が出たことも追い風になったのです。それに私がもうそろそろ26歳になるというのが一番の決め手でした。その頃は「クリスマスケーキ」という言葉があって、いわゆる結婚適齢期である24~5歳を過ぎてしまった26歳の私は売れ残りの代名詞なのです。それが当時の価値観でした。日々、「離婚したくないから結婚しないんだ」なんて言い訳している自分にも嫌気が差していました。

太田光代さん ©文藝春秋

 そして、いざ結婚となった年。7月に独立問題が勃発し、事務所と爆笑問題の契約は当面の仕事が残っている9月まで、ということになりました。占いで日付けまで決めて9月26日に婚姻届を出したというのに、1週間も経たないうちに、私だけが事務所に残り、太田が独立するということになったのです。この段階では、私は事務所に太田と結婚することを報告していませんでした。

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 結局、爆笑問題とS氏は1年ほどで袂を分かつことになります。仕事はうまくいかず、太田プロ時代に予定されていた仕事もすべてご破算となり、爆笑問題の仕事はなくなってしまいました。そしてS氏は責任を取ることもなくどこかへ去っていったのです。

若き日の爆笑問題 ©タイタン

 その後のことを、太田は「カラッカラに干された」なんてテレビで話していますが、太田プロの根回しで「干された」わけではなく、「自爆した」というのが正解です。

 私も事務所の経営者になってよくわかりましたが、芸能事務所もマスメディア業界の各社も営利企業です。互いを信用して取引をしています。せっかく大きなプロジェクトを動かしてきたのに、予定していた商品を納品できなくなったらどうでしょうか? どんな業界でも通常は生じた損害をどのように補償、もしくは賠償していくのかという問題になります。爆笑問題は多くの人が関わって作り上げたプロジェクトを一度はやると言ったのに、どんな事情があるにせよやらなかったわけです。こんな連中を信用できるのか? ということが事の本質です。信用を毀損する行為をした人物は当然、責任を取らなければいけません。