1993年、落語家・立川談志が主催するステージでネタを披露した若き日の爆笑問題。太田光の妻であり、所属事務所「タイタン」の社長でもある太田光代さんは、舞台袖でネタを見ていた談志の言葉を聞いて息を飲んだ。

「オィ、面白いのが出てきたな」

 ここでは、光代さんが半生を綴った『社長問題! 私のお笑い繁盛記』(文藝春秋)より一部を抜粋して紹介する。憧れの談志師匠から打ち上げに誘われ、銀座のバーへ向かった爆笑問題の2人と光代さんが経験した“修羅場”とは……。(全4回の2回目/続きを読む

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太田光代さん ©文藝春秋

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「飲めないって、お前…」

 打ち上げには、出演した落語家や芸人、それに談志師匠の弟さん(当時、師匠の事務所の社長でした)や、メディア関係者も含めて20人以上が詰めかけて、美弥は満員。少し離れた通路には、師匠のお弟子さんたちが立ったまま待っていました。師匠と話したくても話せない弟子が何人もいる。そんな大勢の関係者を横目に、申し訳なく私たちは中に入っていきました。

 通されたのは談志師匠のテーブルでした。談志師匠の横に太田、向かいに私と田中という夢のような席です。

 席につくなり、談志師匠が語りかけてきます。

「ロック? 水割り?」

 私は勢いよく、「水割りをください!」と答えましたが、太田は俯きながら、

「あの、すみません。僕たち飲めないんです」

 実は爆笑問題は2人とも超がつくほどの下戸という珍しいコンビで、特に田中はおそらく体質的にもアルコールをまったく受け付けない人でした。

爆笑問題 ©文藝春秋

「飲めないって、お前、そんなことあるのか」

「いや、本当に飲めないんですよ」

「しょうがねえな。だったら3杯で許してやる」

 お酒が大好きな私は喜んでお付き合いできるけれど、まったく飲めない太田と田中にとって「3杯」はキツい。でも、談志師匠と初めてお話しできるのだから、絶対に粗相のないようにしないといけない。私は店員さんに「ちょっと薄めでお願いします」と伝えました。