太田と義父はあまり言葉を交わす感じではなかったのですが、この時ばかりは太田も「ありえないでしょ」と言ってなだめていました。私は内心、「あんな話を信じるのか。やっぱり一人息子がかわいいんだな」と笑いを堪えるのに必死でした。なんといっても若いときのお義父さんと太田の顔は本当に瓜二つなんです。結婚したばかりの時、実家に飾ってあった義父の写真を見て、うっかり太田と勘違いしたくらいなのです。どう見ても遺伝子はつながっているはずなのに、お義父さんは本気で太田が談志の子かもしれないと疑っているのです。しまいには全員の反論攻勢にすっかりいじけてしまって、「光くんだって、本当は俺のこと嫌いなんだろう」なんて言い出してしまうのです。
後日、談志師匠にも電話をかけて、事の顛末を話すと「それは悪かったな。社長から謝っといてくれよ」と、申し訳なさそうにされていました。あまりに詳細まで伝えたためか、師匠は晩年までこの話を高座でネタにしていました。悪びれているようで、本当は「家族会議」のいきさつを面白がっているようでした。
師匠らしくとても粋に、騒動を面白くネタにして笑わせるまでが芸人の責任の取り方だと背中で示してくれたのです。
当時の私は、社長になって2年も経たず、まだまだ素人同然でしたが、芸人にとってライブがいかに大切なのか、身に染みてわかりました。やっぱり芸人はお客さんを前にネタを披露してみせる。これも談志師匠を見ていて学んだことです。だから、事務所主催のライブをやることになったわけです。
タイタンライブこそ、談志師匠に教わったことです。芸人がいつでも現役であり続けるためには、常にお客さんの前に立ち続けなければいけないのです。売れていったらコンビでのネタは披露しなくなり、MCや冠番組を持つだけにした方が芸人としての成功だと見る人もいます。ですが、私たちはそういう考え方はとりません。生涯、自分の高座に満足せずに精進を続けた談志師匠の教えてくれた言葉の数々は私たちの宝物です。
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