爆笑問題・太田光の妻である太田光代さん。最初は爆笑問題と同じ太田プロに所属するタレントだったが、現在はタレント事務所「タイタン」の社長として、爆笑問題を含めた所属タレントのマネジメントに従事している。
10代半ばにして、母親と別居して一人暮らしを始めたという光代さん。一体何が母子の関係を決定的に裂いてしまったのだろうか。ここでは、光代さんが半生を綴った『社長問題! 私のお笑い繁盛記』(文藝春秋)より一部を抜粋して紹介する。(全4回の3回目/続きを読む)
◆◆◆
「宗教二世」
のちに母との別居を決めたトラブルが起きたのには、仕事とは関係のない別の原因がありました。当時の母は保険の営業員として精力的に働いていましたが、シングルマザーへの風当たりは今よりもはるかに強い世の中でした。
母は実は、私が生まれる前に親族の勧めである新興宗教に入信していたのです。そして、私が病院から戻ってくる頃になると、よりいっそう宗教活動にのめり込んでいきました。小さい頃は心の距離を感じることはありませんでした。まだ幼かったから、親を疑うような気持ちもなく、母がのめり込む宗教活動もごく日常のことで、私も一緒に地域の会合にも参加していたのです。
転機が訪れたのは私が6歳の頃でした。同い年の男性との見合い話が母に持ち込まれて、しばらくして母はその男性と結婚することになったのです。2人とも40代半ばになる頃で、お互いに初婚でした。母は未婚で私を産んでいますし、実の父親の記憶もありませんから、私にとっては初めての「お父さん」です。この人は見た目がビートたけしさんにソックリで本人もまんざらではないようでした。当時の私は、母との2人きりの生活が終わってしまう寂しさばかりが勝って、結婚には反対でした。
新しい“お父さん”
「今度から家に新しいお父さんが来るから、仲良くしてね」
「なんでケッコンするの?」
「もう決まったからしょうがないの」
「わたしじゃダメなの?」
母は少しの躊躇もなく、
「ダメ!」
と短く答えました。後で知ったことですが、母に父を紹介したのは宗教関係で知り合った方だったようです。よくよく聞くと、紹介してくれた方の知り合いの中に頑なに入信を拒んでいる独身の男性がいて、母と結婚すればあわよくば新しい信者が増えるというあけすけな狙いがあってのお見合いだったように思います。
結婚して一家は府中市の団地に引っ越すことになりますが、そこでも父に対する宗教の勧誘はたくさんありました。勧誘のパターンはほとんど一緒です。まず、彼らは母に用事があると言って家にやってきます。そして最終的に父を囲んで、入信するよう説得を試みるのです。父は決して高学歴ではないのですが、いつも勧誘に対して理屈で言い返していたことを覚えています。
「そろそろ奥さんと一緒にどうですか」
「いやいや、何を信じるかは自分で決めますから」
「でも、ご家族で旦那さんだけですよ。入会していないのは」
「日本には憲法で定められた信教の自由というものがありますから」
「奥さんだって活動を頑張っていますよ」
「さっきと同じですが、自分のことは自分で決めます」
