「家出高校生」の一人暮らし

 それでも家族の間に一度入った亀裂が修復されることはありませんでした。私は仏壇のある家に帰ることが億劫になりました。前述したように、当時から私は同世代ではかなり珍しく落語、それも立川談志師匠にハマっていたので、立川流のとにかく長い高座によく通っていました。従兄弟が演芸関係の仕事をしていたのでチケットを確保してもらいやすかったんですね。

 高座が終わらないので終電がなくなった私は、深夜喫茶で電車の始発まで時間を潰して朝帰りをしていました。

 10代半ばから帰宅が遅くなる娘を快く思わなかった母との口論は日常茶飯事になりました。

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 高校生の頃、帰宅して玄関を開けた瞬間、包丁が飛んできたこともありました。思わず、「何するの!」と声を上げると、母は「遅く帰ってきたから。ちょっとカッとなっただけ」と堂々と言い切るのです。命の危険を感じた私はいよいよ、「この人と一緒にいてはダメになる」と思って、家を出る決意を固めました。

 それもちょっとした「家出」ではありません。高校の近くにある女性専用アパートの一室を借りて、そこに住むことにしたんです。

 嘘をついてもバレると思い、大家さんにはあえて制服のまま会いに行き、「事情があって家では暮らせません。どうか、ここに住まわせてください!」と頭を下げました。今も大家さんには申し訳ないと思っていますが、契約書に書いた保護者のサインは私が自分で書いたものです。それからは喫茶店のアルバイトを二つ掛け持ちして、生活費と家賃を稼ぐようになりました。

太田光代さん ©平松市聖/文藝春秋

 でも、本当に大変なのはここからです。学校に通いながらバイトに追われ、談志師匠を追っかけていた私はある日、職員室に呼び出されます。

「松永さん(私の旧姓)、ちょっと」

「はい」

「あの、言いにくいんだけど……。学費の支払いが止まってるよ」

「え?」

 私がアパートで暮らすことを両親に伝えたら、父は学費を支払うことをやめてしまったのです。さすがに学費は払ってくれるだろうと高を括っていたので、完全に不意打ちでした。父は学費を止めれば、娘は家に帰ってくるだろうと思っていたようです。どうして家を出ることになったのか推測はできるけれど、きちんと話も聞いていない。余計なバイトやお金は学業の負担にもなるから帰ってきて、話をしようというサインだったのでしょう。

 ところが母は違いました。家を出ていった私に対して、母から「保険料を払え」という連絡が来るのです。母は自分の売っていた保険商品を娘にもかけていたのです。こちらからすれば、勝手に保険に加入させられ、なんで保険料を支払わないといけないのか。私はいくらなんでもおかしいのではないかと猛抗議しましたが、母は「家を出たのだから、とにかく保険料は払え」の一点張りで押し切ってきます。仕方ないので払うことにしました。