一時は約500キログラムも体重があったとされるアメリカ人女性、マイラ・ロザレス。昨年2月、彼女は43歳という若さでこの世を去った。
マイラが広く注目を集めたきっかけは、2008年に「2歳半の甥を殺した」と自ら名乗り出たことだった。メディアは「体重500キロの殺人者」と書き立てたが、捜査が進むうちに、彼女が真犯人である妹ジェイミーをかばっていたことが明らかになる。
マイラの無実が明らかとなり、ジェイミーは懲役15年の判決を受けた。そしてマイラは、残された甥や姪たちのために、人類史上最大級ともいえるダイエットに挑戦するのだった。(全2回の2回目/前編を読む)
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呼吸不全になる瀬戸際だった
マイラの体重は最大で1000ポンド(約450キログラム)あったとも1100ポンド(約500キログラム)あったとも報じられているが、そもそも、なぜそこまで太ってしまったのか? マイラは子供時代のことについて、TLC制作のドキュメンタリー番組「Too Fat To Kill」の中でこう振り返っている。
「子供の時は痩せていました。実際、食べなかった時は、罰として部屋に閉じ込められたり、叩かれたりしたこともありました。
体重が増え始めたのは、父が家を出て行ってからです。私は長女で、父親っ子でした。父が出て行った後も会っていました。父は別の女性と一緒でした。心が痛みました。虚無感にも襲われました。
そして、妹たちと同じくらい食べ始めたんです。でも、妹たちよりも太ってしまった。たぶん、太りやすい体質なんでしょう。怖かった。どんどん太り続けたから」
マイラは、肥満治療で著名な外科医の下で減量に向けて治療を始める。この時、マイラは、糖尿病と心臓のポンプ機能が低下して血液が滞留することで呼吸困難やむくみなどの症状が現れる「うっ血性心不全」を患っており、呼吸不全になる瀬戸際だった。
自分が変わらなければ死ぬとマイラは思った。しかし、果たして治療を乗り切ることができるのか? そんな不安が過ぎる中、治療を開始する。
そして、最初の10日間で100ポンド(約45キログラム)の減量を達成した。余分な皮膚や肉塊を取り除く手術を6回も行った。高タンパク質ダイエットも行った。肥満治療で行われる胃のバイパス手術を安全に受けるには、600ポンド(約270キログラム)減量する必要があったからだ。
「痩せたら、雇用されるかしら?」
過酷な減量に挑戦しているマイラを励ましたのは弁護人のバルデスだ。バルデスもまた挑戦していた。マイラから起訴されたという犯罪歴を消す挑戦だった。ある時、訪ねてきたバルデスにマイラは聞いた。
「痩せたら、雇用されるかしら?」
着実に減量しているマイラの中に、働きたいという意志が芽生えていた。そんなマイラにバルデスは生きる希望を与えた。
「君の起訴は棄却されたよ。次は、君の逮捕歴を消そう。これは君が引き起こしたことだ。君が責めを負う決断をしたからね。わかるよ、ジェイミーは妹だからね。難しい決断だったろう。傷ついたことだろう。君はあそこ(刑務所)で死ぬことになっていたかもしれない。
でも君は生きている。医療ケアを必要としている。みんな前に進んでいるんだよ。(ジェイミーの)子供たちはおばあちゃんと一緒にいる。君はこれからずっと元気になるよ」(TLCの番組「Too Fat To Kill」より)
