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モノが売れなくなったからこそ、リアルなものってなくならない

――2007年に会社を設立されて、まず手がけられたのがそのイベントを規模を大きくしてやってみる事業だったそうですが。

中川 そうです。ただ僕、サラリーマンになったことがないので社会のいろんなルールがわからないし、当時は起業に対してポジティブな風潮でもなかった。ですから、会社の銀行口座一つ作るのも大変でした。祖母のつてを頼って、世田谷信用金庫の通帳をやっと手に入れたんですけど、資金調達なんてとてもとても。それまでのイベントで稼いだお金をそのまま使う、まさに自転車操業の日々でした。

 

――そこからきゃりーさんと出会い、イベント事業からアーティストのマネジメント事業にも展開をしていかれたわけですが、この10年、音楽業界や出版業界、広く言えばエンターテインメント業界の「稼ぎ方」がかなり変わったんじゃないかと思います。中川さんはどうご覧になっていますか?

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中川 僕は1981年生まれで、音楽で言えばメガヒットを出せばCDが100万枚売れる時代を体験しています。だからこそ、モノが売れなくなったこの時代との落差をひしひしと感じていますが、一方でリアルなものってなくならないし、強いなと思っているんです。

 

――リアルなもの、ですか。

中川 手に取るだとか、直接人に会う経験とかは常に欲されていると感じています。たとえば音楽がCDからイベントやフェスに「稼ぎ方」の重心を移したように、あらゆる業態でリアルに人が集まるイベントや、特別感のある雑誌のようなものはなくならないと思っています。

『Zipper』の休刊は本当に寂しかった

――雑誌はなくならないと思われますか。

中川 そう思いますし、僕は雑誌で育った人間なのでこの文化は残したい。だからさっき言ったように『Zipper』の休刊は本当に寂しかった。

『Zipper』でも活躍していた、きゃりーぱみゅぱみゅ ©getty

――どんな雑誌を読んでいたんですか?

中川 メンズのストリート雑誌が多かったですね。グラビアだけじゃなくて、コラムとか読むの好きでした。あと、当時Hi-STANDARDが好きだったんですけど、アーティストを追っかけていると、その人が着てるTシャツのブランドが気になったり、その周りにあるスケボーとかのカルチャーが面白くなってきて、それをまた雑誌で確認するのが楽しかった。雑誌は情報の入り口として丁度いいんですよ。スマホだと情報は多すぎるし、展開も早くて、何というか自分の好きなことを深めていけない気がしていて。

――意外とアナログなんですね。

中川 残るものが好きというか。家には雑誌のバックナンバーやイベントのチラシがたくさん残ったままですよ(笑)。