夫のせいでSwitch2に応募できない!
光代 あなたさ、仕事がなくなったとき、ずっと家で「ドラゴンクエスト」とか「ファイナルファンタジー」をやっていたでしょ。私もストーリーが気になるからあなたに日中はレベル上げだけしてもらって、私が帰ってきてからストーリーを進めてもらっていたよね。一緒にプレイするときは、ゲームに出てくる女の人たちの声を私が演じて、男の人たちの声をあなたが演じるっていうこともしたよね。私は楽しかったんだけどな。
光 俺も楽しかったですよ。
光代 なら、もっと一緒にやってよ。私はああいった時間が好きなのよ。今でも私はゲームをやっているけど、あなたはもうやらないじゃん。Nintendo Switchもあなた用のものがあるのに、全然プレイしないから時間数が足りなくて、Switch2も私しか応募する権利がない。あなたもやっていたら当たる確率が上がったのに。
光 すみません。
光代 昔はボードゲームも一緒に楽しくやってたし、外食もしてたんだけどなぁ。でも、本当はそういうのが好きなタイプじゃなかったんでしょうね。もともといろいろ合ってないんです。
光 ……。
光代 この人、結婚7年目くらいからすっかり変わっちゃったんですよ。
――ちょうどタイタンを創立してから4年前後で、爆笑問題が復活して破竹の勢いでテレビ・ラジオ、出版にと大活躍が始まっていた時期と重なります。単にお互いが忙しくなったのではないですか?
光代 まあ、それもあると思う。私と爆笑問題の三人でなんとなく事務所をやっていた頃から他のタレントも抱えるようになった時期ですね。タイタンライブも始まっているし、私も会社から帰れなかった。いよいよ個人事業主の集合体っていう意識が抜けて、会社を経営するってどういうことなのかがわかり始めてきた頃です。
家に帰れないまま、会社から銭湯行って、あるときは夜中まで経理の仕事をやっていました。お医者さんには「このままだと死にますよ」なんて言われていた時期。
光 当時は芸能事務所の社長なんて本当にできるんだって思いながら見ていましたよ。なんとかなっちゃったよって。
※二人の馴れ初めや、光代さんに「この人は居着く気だ!」と勘繰らせた“シャンプー事件”、数年間にわたって続いた不妊治療や老後の展望について語られた記事全文は、『週刊文春WOMAN2025秋号』で読むことができます。
おおたみつよ
1964年東京都生まれ。雑誌モデルを経てものまねタレントとして活動。90年、爆笑問題の太田光と結婚。93年、芸能事務所「タイタン」を設立し、社長に就任。
おおたひかり
1965年埼玉県生まれ。88年に田中裕二と爆笑問題を結成。「サンデージャポン」「爆笑問題カーボーイ」などレギュラー番組多数。
写真:平松市聖

