光 うーん、親を紹介するという発想はなかったですね。
光代 だから情が移ったとしか言えないんだよね。居着いてから結婚するまでの間って一年半くらいしかないんだけど、私も私で半年くらいでこの人をどうにかしないとって思ったんだよね。
光 でも、俺は俺で仕事ががくんと減っちゃって……。
光代 せっかく売り出そうとしていた爆笑問題が一年ちょっとで太田プロから独立するなんて誰も思ってなかったからね(註:爆笑問題は当時のマネージャーに唆される形で太田プロを辞めて、仕事が激減する)。あなたたちのために(1993年に)タイタンを作ることになって、私は”社長”をやることに……。もう少しやりたかったことがあったんですけどね。タレントとしてとか役者としてとか……?
タレント時代の光代さんの印象は…
――タレント時代の光代さんのことを光さんはどう思っていたんですか?
光 本当に面白かったですよ。今でも覚えているけど、抜群に良かったのがテレビ東京で放送していた「ひょっこり漂流島」。今は政治家になった蓮舫とか、岡本夏生と一緒に出てたよね。
光代 本当にそんなこと思ったの?
光 そりゃあ思っていますよ。あの頃のテレビはお金があったのか、グアムに行って収録をしていた。大竹まことさんが先に漂流している役で出ていた、タレントたちが島に漂流してサバイバルをするというシチュエーションドラマの番組。この人は田中角栄をもじった「田中角江」っていう役名でコントみたいなことをやっていたんだよね。俺にはあれがめちゃくちゃ面白かった(笑)。
光代 あぁそうだ、カクエね。当時の私は大竹さんとグアムで毎晩飲んでました。
それと並行して、あなたに別のドラマの役作りとかも相談していたよね。そのときは結構、良いアドバイスをくれていた。
光 そうだったかな。こういう演技のほうがいいかも、くらいのことは言ったか。一人コントも芝居もやっぱり一人だけ全然違っていて、いろんなタレントが出ていてもピカイチだった。
