芸能界屈指の不思議な夫婦と言っていい。爆笑問題の太田光、マネジメントを手掛ける芸能事務所「タイタン」社長の太田光代夫妻である。1993年、光代氏が「私が爆笑問題の社長をやります」と啖呵を切り、創業してから三十余年、タイタン経営の軌跡を辿った著書『社長問題! 私のお笑い繁盛記』では、夫婦独特の信頼関係が記されている。

 めっきり会話が減ったという二人のために用意された刊行記念対談、太田光に対して「社長」こと光代から容赦ない本音が炸裂する180分になった。『週刊文春WOMAN2025秋号』より、二人が交際開始直後について語った箇所を抜粋し掲載する。

社長問題! 私のお笑い繁盛記』(太田光代著/文藝春秋/2025年10月8日発売)

◆ ◆ ◆

ADVERTISEMENT

太田光を「福岡から出てきた人」と勘違いしていた

――初めて出会った頃、光さんは光代さんをどう思っていたんですか?

 最初に見かけたのが事務所ですれ違ったときだったかな。綺麗な人だなと思ったし、スタイルがよかったから太田プロにはスーパーモデルが所属しているんだって思ったよ。とにかく有頂天で田中に自慢してたって感じかな。

光代 私はちょっと後悔していた。それまで年上と付き合ってきて、愛情も注いでもらったし、大人の遊び方も教わってきたから。それに比べると、一歳しか違わないけど、随分と若いなというのが最初の感想ですよ。時々、家をふらっと出ていくんだけど、「俺は上福岡から来た」という話だけは聞いていて、「この人は福岡県から出てきたんだ」と勘違いしていたの。私以外にも同じ手を使っている人が何人かいて、その人たちの家を転々としているんじゃないか? と思い込んでいた。

 いや、福岡にいたら東京で仕事できないじゃん! 埼玉県上福岡市ですよ。俺、しっかり伝えたつもりだったけどな。

 

光代 だからさ、ちゃんと言ってないのよ。実家の連絡先も教えてもらってません。そんななか、私の家に忘れた財布を取りに来た松村くんが察するんだよ。

 タバコでバレたんだっけ?

光代 そう、あなたが吸ってるタバコがカートンで置いてあったから。

 この人はモノマネをやっていたから、ネタにするための資料として、家に「大橋巨泉」とか書いてあるビデオテープがあったんですよ。最初、「爆笑問題」って書いてあるテープも置いてあったのを見て、松村くんは爆笑問題のモノマネをやるつもりなんだって勘違いしたって。「松永さんはそんなマニアックな方に行くのか!」と思っていたらしい。

光代 やるわけないじゃんね。

 それからしばらくして、「出て行け」と言われましたね。