「アメリカまで渡って卵子提供を受けた」父親から明かされた“出生の秘密”
――お父さんからはどのように聞いたのですか。
エリ 父も母も高齢で、特に母は卵子がうまく機能しない状態だったので、自然妊娠が難しくて。でもどうしても子どもが欲しかったから、卵子提供による体外受精を選択したそうです。ただ、日本ではあまり行われていなかったから、アメリカまで渡って卵子提供を受けた、と聞きました。
両親は日本人のドナーを希望したそうですが、見つからなかったので、白人の方の卵子を提供してもらうことになって。2回失敗して、金銭的にも体力的にもこれが最後だと臨んだ3回目で、20代の若い方の卵子をいただいて、自然分娩で私が生まれたそうです。
――その話を聞いた時、どう思いましたか?
エリ もう、ただただびっくりしました。その時はまだ体外受精の知識も全くなかったので、頭が追いつかなくて。「え、お母さんと血が繋がってないんだ」とパニックになって、号泣しました。
そのあと、買い物から帰ってきた母に「私、お母さんの子じゃないんだ」「ハーフなんでしょ」って泣きながら言ってしまったんです。
――お母さんはどんな反応でしたか。
エリ 母は「そんなわけないでしょ。お父さんが嘘ついてるだけだよ」と言って、自分の部屋に閉じこもってしまったんです。その姿を見て、「あ、これは言っちゃいけないことだったんだ。隠しておきたいことだったんだ」と悟りました。
「もう聞いちゃいけないんだな」母との間で出生の話はタブーに
――お母さんもショックを受けたんですね。
エリ あの時は「お母さんの子じゃないんだ」と衝動的に言ってしまいましたけど、そう感じたのは、事実を知ったあとの一瞬だけ。お腹を痛めて産んでくれたのも、ここまで育ててくれたのも母だし、愛情をくれた人が私にとってのお母さんだなって、すぐに思い直したんです。
だから翌日には「ごめんね。私はお母さんの子だから」と母に伝えました。ただ、その時の母は少しぎこちない反応でしたね。でも、その後は何も変わらず、普通の親子として過ごしました。
――その後、お母さんと改めて出生の話をすることは?
エリ 父が亡くなった後、25歳くらいの時に一度だけレストランで「私、ハーフなんでしょ?」って軽く聞いてみたことがあるんですけど、母は無言で、すごく怖い顔をしたんです。
だから「もう聞いちゃいけないんだな」と思って、母が亡くなるまでその話題には触れませんでした。
――お母さんとの間ではタブーのような。
エリ そうですね。父は私に話してくれましたけど、母は体外受精のことを墓場まで持っていく覚悟だったと思います。
――20歳になるまで、親戚の人から出生の秘密を教えてもらうことはなかったのですか?
エリ なかったですね。母が口止めしていたらしくて。でも中学生の時に、母の妹から母の秘密を1つ教えてもらって。実は、母は自分の年齢を20歳若く偽っていたんです。
撮影=山元茂樹/文藝春秋
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