凝り固まったイメージを逆手にとる

――「好感度」「清純派」など、他者からのイメージと不可分なお仕事ですよね。

柴咲 「柴咲さんってこういう人だよね」と決めつけられたり「そんな一面があるんだ」と驚かれたりね。やっぱり最初は「何が意外なの? 私はずっとこうなんだけど」と戸惑いましたけど、今は「ま、いっか。イメージが羽ばたいていくのは、それはそれで」というスタンスです。

 むしろ逆手にとって、イメージが凝り固まってきたら、まったく違う顔を見せられる作品に挑むんです。「最近、いい人の役が多すぎたな」という時は、『でっちあげ』の(氷室)律子みたいな役をやりたくなるんですよね。

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――律子は本当に恐ろしかったですね。瞬きもほぼしないし。

柴咲 そこはちょっと意識しました(笑)。

――「自分が生きたい物語」を芯から信じている人間で、それゆえの凄味がありました。ただ、柴咲さんご自身はおそらく、律子を悪者として演じていないのかなと。

柴咲 うん、そうですね。律子を心の底から信じていないと、変な違和感が生まれちゃうかなと思って。「誰がなんと思おうと我が道を行きます」の精神で演じました。

訴える先が特定の何かに一極集中してしまうのも危うい

――『でっちあげ』は「誤報」や「過熱報道」の恐怖と脅威、ジャーナリズムの在り方を突き付けられる作品でした。作品に関連してお聞きしたいのですが、「警察が動いてくれないから、週刊誌に訴える」というのはどう思われますか?

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柴咲 法として本来裁かれるべきなのに「いっこうに着手されない」「黙認されていない?」という問題はありますよね。日本は島国というのもあってか、和を乱さないように口を閉ざす傾向がありますし。

 でも見て見ぬふりをしたことがひいては大事になってしまうわけで、当事者であれ周囲の人であれ、声を上げることをためらわずにいられる世の中であってほしい。ただ、その術が週刊誌など特定の何かに一極集中してしまうのも危ういかな、とは感じますね。だからやっぱり、みんなで考え続けなくてはと思います。政治なり環境なり、もっと他のトピックにも目を向けていくことも含めて、世の中の認識をみんなで醸成していければいいですよね。