食の記憶は体験と深く結びついている。亡くなった私の祖母は(表向きは隠していたが)ジャガイモが嫌いだった。戦時中の記憶と不可分だったせいだ。
書名から想像される通り『戦争みたいな味がする』もまた、戦争と食をめぐる家族の歴史を追ったノンフィクションである。「戦争みたいな味」は直接的には戦時中に配給された脱脂粉乳の味を指す。が、ここでいう「戦争」には多様な意味が含まれていると考えるべきだろう。描かれているのは国家と民族の争いに翻弄された一女性の想像を絶するような人生だ。
父はアングロサクソン系の白人。母は帝国主義時代の日本で生まれ、第二次大戦後、一度は半島に戻るも父と結婚して渡米した韓国人女性。2人の間に生まれた著者は〈母の人生は、追放されることの連続だった〉と書く。〈そのはじまりは植民地化と戦争に、そして最期は統合失調症、さらにはほとんどホームレスの状態によって、混乱に巻き込まれていった〉
母の最初の困難は朝鮮戦争だった。当時9歳だった母は戦火から逃れる途中で家族とはぐれ、やっとたどり着いた実家で、祖母が裏庭に埋めたキムチの瓶を掘り出し、ご飯とともに食べながら、何週間もひとりですごして生き延びた。
15歳から21歳までのある時期、母は故郷の昌寧(チャンニョン)を出て釜山で働いた。そこで母が何をしていたか、娘が知ったのは大人になってからだった。母は米軍基地周辺で働くセックスワーカーで、そこで米国商船隊の船員だった父と出会い、最初の子ども(著者の兄)を妊娠したのだ。
シングルマザーとなった母は母国の共同体から排斥され、2番目の子ども(著者)の妊娠中も、すさまじい飢えに苦しんだ。
1971年、父母は結婚し、翌年、父の故郷である米国ワシントン州のチェヘイリスに移住したが、待っていたのは別の悪夢だった。
第二次トランプ政権が発足し、日本を含む世界中で右派ポピュリズムによる排外主義の嵐が吹き荒れているいま読むと、前半生は外国人と関係したことで韓国社会から追われ、後半生は米国社会の人種差別の中で生きなければならなかった彼女の人生はとても「過去の話」と思えない。
アメリカ人になろうとした母は野生の食材の採集や料理を介したもてなしで地域となじみ、一家は中産階級の暮らしを手に入れた。しかしツケは後で回ってきた。1986年、娘が15歳になった頃、母は精神疾患を患い、それから18年も病と闘い続けるのだ。トラウマの一言では語れない心の闇。〈統合失調症は、人生の危機、あるいは重大で悲劇的な失望が、その出現を引き起こして発症する可能性がある……〉。
誰かがそうなる新たな原因を、私たちは作っていないか。グサグサと胸に刺さるような一冊だ。
Grace M. Cho/ニューヨーク市立大学スタテンアイランド校、社会学・人類学教授。本書は2021年全米図書賞ノンフィクション部門最終候補作となったほか、2022年アジア・太平洋諸島系アメリカ人文学賞成人ノンフィクション部門を受賞した。
さいとうみなこ/1956年生まれ、新潟市出身。『妊娠小説』で文芸評論家デビュー。近著に『絶望はしてません ポスト安倍時代を読む』。
