『エレガンス』(石川智健 著)河出書房新社

 時は太平洋戦争末期。主人公(ワトスン役)に警視庁所属のカメラマン石川光陽、探偵役に自殺他殺の判断目安となる「吉川線」の考案者吉川澄一という2人の実在の人物を配し、「川川コンビ」が80年前の帝都東京を舞台に若い女性ばかりを狙った“釣鐘草(つりがねそう)連続殺人事件”の謎を追う――。

 という紹介は、しかし、本書の紹介としてはおそらく正しくない。

 釣鐘草連続殺人事件の捜査は、1945年1月に始まり、同年3月に大団円を迎える。

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 日本軍が制空権を失い、米軍機による本格的な本土空爆が始まった時期だ。作中で2人も銀座への空襲に巻き込まれる。有楽町駅構内の死者は87人。麹町・京橋両区での死者は540人という被害を受けた。

 捜査を続ける中で石川光陽は自問する。

 空襲で多くの市民が殺されているこの状況で、何人かの人物を殺した犯人を捜し出し、その手口や動機を解明することに意味はあるのか? 目の前の被災者を救うことに全力を注ぐべきではないか?

 光陽はこの問いに答えを見つけることができるのか? “そして”不可解な連続殺人の謎を解くことができるのか?

 これ以上はネタバレになるので、本書物語の外からヒントを少し。終戦後、石川光陽は占領軍から東京空襲の被害を撮った写真のネガの提出を命じられたが、命令を頑なに拒否し、プリントのみ提出した。

 広島・長崎への原爆投下もそうだが、焼夷弾による絨毯爆撃――東京大空襲は、女性や子どもを含む民間人の無差別殺戮を目的とした作戦だ。非戦闘員の無差別大量殺戮が国際法違反にあたることを米軍は認識していた。だからこそ彼らは原爆報道に厳しいプレスコードを敷き、東京空襲の証拠となる光陽の写真を押収・隠蔽しようとしたのだ。守ってくれるものが何もない中(警視庁は「個人的な写真」とコメント)、光陽は占領軍相手に1人で戦い抜いた。

 本書はカメラマン石川光陽の成長あるいは覚醒の物語でもある。

 それにしても、本書に登場する女性たちのたくましさ、凜々しさには目を奪われる。一方で、弱い者に威張り散らしながら、自分たちが始めた戦争(戦前の日本は男子普通選挙制)をどうすることもできず、状況に唯々諾々と従いながら、愚痴を言うばかりの男どもの情けなさは、まさに現在に通じるものであろう。

 もう一つ。本書は巻末参考文献の最後に2023年12月にイスラエル軍に殺害されたパレスチナの文学者リフアト・アルアライールの名を掲げている。本書で描かれているのは単に80年前に起きた過去の話ではない、今この瞬間、私たちの目の前で進行中の出来事でもあるということだ。

 物語をどう受け止めるのか。読者の態度が問われる作品だと思う。

いしかわともたけ/1985年神奈川県生まれ。2011年に『グレイメン』で「ゴールデン・エレファント賞」第2回大賞を受賞。他の著書に『エウレカの確率 経済学捜査員 伏見真守』『ため息に溺れる』『ゾンビ3.0』など。
 

やなぎこうじ/1967年生まれ。小説家。『ジョーカー・ゲーム』『風神雷神』など歴史や芸術をモチーフとする作品を多く執筆。

エレガンス

石川 智健

河出書房新社

2025年7月28日 発売