パルチザンだった父の突然の死。その葬式に現れるさまざまな人を通して見える、知らなかった父の顔。チョン・ジアの『父の革命日誌』は不思議な小説だ。
作者の両親も共産主義者だった。両親のことを書いた長編小説『パルチザンの娘』を1990年に発表するが、国家保安法により発禁処分に。自身も指名手配され長い逃亡生活を送り、6年後に賞を取って再デビューする。今作もまた、両親の生き方を娘の目線で描いた小説だが、どことなく肩の力の抜けたユーモアとペーソスに溢れた筆致だ。主人公と作者はイコールではないかもしれない。けれど、ここに描かれた言葉や感情には作者の経験が色濃く反映されている。そのつかず離れずの距離感が、物語に不思議な透徹した視線を与えている。
社会主義を信じ、より良い未来のために命を賭して戦い、破れ、やがて来た資本主義社会に押し流されるように社会の底辺へと押し込められた両親。社会はあっさりと変わる。両親は変わることができなかった。けれど、自分たちがどんなに困窮しても、民衆を見捨てることはしなかった。騙され、裏切られ、馬鹿にされても「彼らにそうさせたのは社会の構造に矛盾があるから」であり、その人が悪いわけではない、と恨むこともしなかった。
そんな両親と娘はなかなかわかりあえない。頑固で不器用な父を娘は煙たく思い、いつしか心は離れていく。そんな中で訪れた父の死。自分自身の気持ちを抱えあぐね、それでも葬式の準備に翻弄される娘の前に、次々と生前の父を知る人物が現れる。
兄を憎み、一生背を向け続けた叔父。姦(かしま)しいばかりかと思っていた従姉たちが見せる「指先でそっと触れるだけで傷んでしまう熟れた水蜜桃のような心」。酔って「よくぞ死んでくれた」と放言する老人。タバコ友達の若い黄色い髪の移住民の娘。彼らがそれぞれ携えた父の欠片が見せる、思いもかけない父の一面。
韓国の歴史は複雑だ(複雑でない国などないけれど)。パルチザンとは、朝鮮戦争時、大韓民国の建国に反対して抵抗し続けた市民集団のことだ。戦争終結後、パルチザンは白眼視され、厳しい監視の下に置かれた。そういった韓国の歴史を知っていればより本書を深く読み込むこともできるが、本書にはもう一つの軸がある。人と人の関わり、親子や夫婦の間にある感情や相剋、それらはどこの国、どの時代に生きている人も共通して抱く思いではないだろうか。
葬式という固定された舞台に次々と登場人物たちがやってきては去って行く。3日間の葬儀が終わったあと、娘は父の思い出の場所を回り、遺灰を撒く。失ったと思っていた父を取り戻す儀式のように。
2つの世代、2つの世界に橋を架けるようなラストには、確かに希望がある。
鄭智我/1965年、韓国・求礼生まれ。90年、自身の両親をモデルにした長編小説『パルチザンの娘』で作家デビューするが、発禁処分となる。邦訳に作品集『歳月』がある。李孝石文学賞ほか、数々の文学賞を受賞。
いけざわはるな/1975年生まれ。声優や女優として活動する傍ら、作家や書評家としても本格的に活動。著書に『乙女の読書道』等。