『方舟を燃やす』(角田光代一 著)新潮社

 私たちには、生きていくうえで心の癖のようなものがある。それぞれに何かを信じ、使命感に駆られて生きている。それを培ったものは生い立ちらしい。もちろん、普段そんなことは気にもとめず生活している。ところが“そんなこと”に目を向けたのが角田光代である。本書は、そんなふうに生きる人間をまるごと肯定してくれるのだ。

 物語は1967年から2022年まで、2人の人物の生きる姿を追う。

 1人は1967年、鳥取の山間の町に生まれた柳原飛馬(ひうま)。祖父は銅山労働者で、地震を予知して多くの人々を救ったと聞かされながら育った。父の説教はいつも「祖父の立派な行動に恥じることのない男になれ」だった。けれどたびたび教えに反した後ろめたさを記憶に刻みながら成長する。

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 もう1人の谷部不三子(やべふみこ)は東京に生まれ、高校を卒業して就職した。飲んだくれていた父は亡くなり、清掃の仕事をする母は最低限の家事をするだけで、子どもは放りっぱなし。そんな母を嫌い、結婚してからは文化的な家庭を築こうと意識高く暮らし、マクロビオティック料理を信奉する。

 そんな2人の日々を丹念に描き出す。ノストラダムスの大予言の流行や連続幼女誘拐殺人事件、バブル経済など時代の移り変わりの中で、ひたすらに生きる。うまいのは、事件、事故、災害はもちろんのこと、背景に宗教、SNSの悪意、フェイク動画など、信じること、念ずることを揺るがす大小の夾雑物を配置していることだ。それらが平穏な暮らしにひっかき傷をつけ、全体の不安感を醸成する。

 取り立てて彼ら自身に大事件は起きないのだが、でこぼこ道を歩むエピソードの濃(こま)やかさに引き込まれる。例えば、祖父の英雄伝説を聞いて育った飛馬が、東北地方の大地震でボランティア活動に気力をみなぎらせ、よろこびを見出す姿はすとんと胸に落ちる。小説を読む醍醐味の一つがここにある。

 やがて、東京で区役所の職員になった飛馬と、子どもたちが巣立った不三子が、子ども食堂を媒介にして出会うことになる。子ども食堂の運営、気になる女児、うまくいき始めた矢先のコロナ禍、そして過去最高レベルの勢力の台風の日のカタルシスに向けて物語はぐんぐん加速していく。

 混乱の最中、何が正しくて、何が間違っているか悩み続けた1人はあることを看破し、使命感にさいなまれた1人は混乱を越えて、ある境地に達する。それぞれ母、祖父の呪縛から放たれ、大きな赦しがもたらされた瞬間だ。ポイントは母、祖父の過去を知ったこと。伴走してきた者としても救われる思いがし、大事なことを教わった気がする。

 それにしても、こんなところに目をつけて小説にするとは。そう言えば、『タラント』(2022年)も目のつけどころに驚かされたのだった。この作家の視線の射程距離は計り知れない。

かくたみつよ/1967年、神奈川県生まれ。1990年「幸福な遊戯」で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。2005年『対岸の彼女』で直木賞を受賞。『八日目の蝉』『ツリーハウス』『紙の月』『かなたの子』『私のなかの彼女』他、『源氏物語』(全3巻)訳、エッセイなど著書多数。
 

ないとうまりこ/1959年生まれ。毎日新聞の記者として書評をはじめ様々な記事を手掛け、現在は文芸ジャーナリストとして活動。