そういえば、と母親は思い出したように言う。

「わたしたちがみんなで飲んでいて、その間子どもを外で遊ばせるのを『放牧』なんて言っていましたね。でもまあ、子どもたちが近くにいれば安心という思いもあるのですが、あるとき外で遊んでいた子どもたちが迷子になりまして、困った子どもたちは自分たちで『すみません。わたしたち迷子です』と交番に駆け込んだことがありました」

わたしはこの「放牧エピソード」を山の手エリアに住む中高生の母親に聞かせた。すると女性はさっと顔色を変えた。

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「いや、わたしたちの周りではそんなことはあり得ないです。信じられない」

一方、そんな「外部」からのマイナス評価を予期してのことだろうか、先の母親はわたしにこう言った。

「それが“ていねいな暮らし”でないことは百も承知なのですが、わたしたちのエリアの大半が共働きのファミリー世帯なのです。とはいえ、『男女共同参画』などと言いながらも、家事なり育児なりは母親が結局担当することになります」

この母親が言わんとしていることはよく理解できる。仕事をしながらも、子育てもいつの間にか押し付けられている身としては、同じような境遇の母親たちで集まって、お酒を飲みながらわいわいと語り合うことそれ自体が明日への活力を生み出してくれるのではないか……そんなふうに考えているのだろう。この母親の弁は、夫、というより男性社会の在り方に対して疑義を呈していると言い換えることができるかもしれない。

この話を黙って聞いていた別の母親はことばを継ぐ。

「子どもが保育園に通っていたころは、まだそれでも父親と育児の分業ができていました。たとえば、保育園に送っていくのは父親、迎えに行くのは母親、なんて。でも、子どもが小学生にもなると、父親の育児熱が冷めてしまうのです。ひょっとしたら、もう成長したから大丈夫だなんて安心してしまうのかもしれませんね」

矢野 耕平(やの・こうへい)
中学受験専門塾スタジオキャンパス代表
1973年生まれ。大手進学塾で十数年勤めた後にスタジオキャンパスを設立。東京・自由が丘と三田に校舎を展開。学童保育施設ABI-STAの特別顧問も務める。主な著書に『中学受験で子どもを伸ばす親ダメにする親』(ダイヤモンド社)、『13歳からのことば事典』(メイツ出版)、『女子御三家 桜蔭・女子学院・雙葉の秘密』(文春新書)、『LINEで子どもがバカになる「日本語」大崩壊』(講談社+α新書)、『旧名門校vs.新名門校』』(SB新書)など。
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