生みの親が育てられなくなった子どもを引き取り、法律上においても実子と同じ親子関係を結ぶ「特別養子縁組」。特別養子縁組について取り上げられるとき、その多くが、子どもを引き取った夫婦側の視点から語られる。だが、手放した側の親についてはどうだろう。
特別養子縁組には、当然ながら子どもを「託した」側の立場の人も存在するはずなのに、彼女や彼らについて語られることはほとんどない。若年での妊娠、保護者の病気や死亡、経済的困窮、虐待――。複雑な事情が絡んでいることが想像できるが、実際に生みの親は何を想い、自ら産んだ子を手放すのだろうか。(全2回の1回目/続きを読む)
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2022年12月初旬、関東圏の主要ターミナル駅近くのカフェで、一人の女性と待ち合わせた。現れたのは、黒のセーターと緑のロングスカート姿の、かわいらしい目元をしたマスク姿の女性。20歳で出産し、産後半年で子どもと別れることを決意した、竹内陽菜さん(仮名、23歳)だ。
被虐待児として育った幼少期
まず、陽菜さんの子ども時代と、母親との関係について触れておきたい。陽菜さんは母子家庭で育ち、母親からDVや育児放棄をされた過去をもつ、「被虐待児」だ。食べる物も満足になく、学校にもまともに通えず、小学校~中学校にかけては児童相談所への通告や家庭訪問を何度も受けている。
小学生だったある日のこと。陽菜さんは訪問してきた児童相談所の担当者に、「お母さんに叩かれてない?」と聞かれたことがあった。
「傍にいた母が私に向かって“叩いてないよね?”と言うから、“うん”と答えるしかなくて。本当は母から暴力を受けていたし、誰かに構ってもらいたくて、児相の人には保護して欲しかった。でも中学生のとき、母親の育児放棄で児童相談所に一時保護され、“このままここに残ることができるけどどうする?”と聞かれたときは、自ら“帰る”と伝えました。だって、母は付き合っていた彼氏にいつか捨てられる。母親は、自分がいなくては生きていけない人。自分にとっての母親は、私がなんとかしないといけない人。今もずっとそうです」
15歳で働き始め、19歳で結婚
15歳になると、母親の借金の返済と生活費を稼ぐため、定時制高校に通いながら毎日、休みなくコンビニとラーメン屋で働く日々が始まった。仕事は楽しかった半面、生活に追われるうち次第に勉強が手につかなくなり、高校を中退。18歳になってすぐ風俗店で働き始めた。
中卒の女の子が毎月まとまったお金を稼ぐには、性産業に関わらざるを得ないという現実もあっただろう。子どもの父親となる男性と出会ったのはこのときだ。勤めていた風俗店の客で、8歳年上の、地元で公務員として働く男性だった。知り合って3か月で男性からプロポーズされ、二人は結婚した。