生みの親が育てられなくなった子どもを引き取り、法律上においても実子と同じ親子関係を結ぶ「特別養子縁組」。この制度が取り上げられるとき、その多くが、子どもを引き取った夫婦側の視点から語られる。だが、手放した側の親についてはどうだろう。
ここでは前編に引き続き、特別養子縁組で子どもを託した女性・竹内陽菜さん(仮名、23歳)の体験談を紹介する。
被虐待児として育ち、親の借金を返すために中学卒業後に働き始めた陽菜さんは、19歳のときに8歳年上の公務員の男性と結婚。幸せな結婚生活が待っているかと思いきや、精神疾患を抱えながらの妊娠中、夫から「中絶するか、離婚してくれ」と突き放された。
離婚を選んだ陽菜さんは出産後、一時的に我が子を乳児院に託すことを決意。「1歳までに生活基盤を整えて引き取る」ことを目標に、まだ悪露が出ている状態で働き始めた。頼れる親もおらず、元夫から養育費を支払われることもない。それでも我が子を自分の手で育てたいと願う彼女が特別養子縁組を検討するきっかけとなったのは、児童相談所の職員の“ある発言”だった――。(全2回の2回目/最初から読む)
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「自分は虐待しないと思いますか」と問われた
きっかけは、児童相談所の職員との会話だった。妊娠中、乳児院の話が出てからは、陽菜さんは児童相談所の担当者の訪問を何度か受けていた。担当者は、過去に実家を家庭訪問してきた児童相談所と同じ所属だったため、陽菜さんが子ども時代に受けた虐待はすべて把握していた。その担当者が、あるときこんなことを言ったのだ。
「昔虐待されていた記録がありますね。それについてはどう思いますか? 自分はやらないと思いますか?」と。
「それを聞いてびっくりしました。あ、私も虐待すると思われているんだって。聞けば、被虐待児は自分の子にも同じようなことをしてしまうパターンがある、ということでした。虐待する危険性があって、精神疾患の持病もあって、しかも元夫から養育費も支払われていない。そんな私を児童相談所が放っておくわけがありませんよね」
「虐待する可能性はありませんか?」と確認してくる担当者。このとき、陽菜さんは「ありません」と言い切ることはできなかった。
「だって、私にとっての親の形がそうでしたから。もちろん、親のイメージを壊して、私がいい親になればいいと思いました。だからこそ、頑張りたかった。それに母親は私を一人で育てたのだから、私も一人で育てられるはずとも思っていました」