国内で初となる「内密出産」を希望する女性を、熊本の慈恵病院が保護して24日が経過していた。
内密出産とは、妊婦が特定の関係者以外に身元を明かさず出産すること。法律に規定はない。病院は女性の身元を把握していたが、このままでは出生届には母親の名前を記さずに提出することになる。その場合、出生届は受理されず、医師が公正証書原本不実記載罪(刑法157条)に問われるなどの可能性がある。出生の届出は2週間以内と戸籍法第49条で定められているが、受理されなければ、決着するまで赤ちゃんは無戸籍の状態になることもあり得る。病院内は緊張状態が続いていた。
急転直下、女性が翻意したのは出産後、退院前日の朝だった。家族に連絡し、赤ちゃんを産んだことを伝えたのだ。11月10日(水)、病院は内密出産が回避されたことを公表した。女性が赤ちゃんと一緒に生きることにしたのはなぜだったのか。そもそも、なぜ、女性は内密出産を迫られるほどに追い込まれたのか。どうやって慈恵病院につながったのか。始まりは1本のメールだった。
◆ ◆ ◆
アキさんは頷き、ぽろぽろと涙を流した
「誰にもばれずに出産したいです」
わずか1行のメールを慈恵病院の「SOS赤ちゃんとお母さんの妊娠相談」が受信したのは10月2日(土)未明だった。
確認した相談員が「勇気を出してメールをくださり本当にありがとうございます」と返信。相談員は女性と慎重にやり取りを重ね、50本近いメールの往復で、暮らしている地域、年齢、家族構成、職業、そして出産のために熊本に来る意思を確認した。
それから約2週間後、18日(月)の夕刻、女性が新幹線の熊本駅に降り立った。改札の外には慈恵病院の職員が出迎えのため待機していた。降車客の波が改札を通り終えた後、最後に女性が現れた。職員が声をかけた。
「アキさんですか? 慈恵病院です」(アキさんは仮名)
アキさんは頷き、ぽろぽろと涙を流した。
アキさんは病院内の保護室に通された。ベッドルームとキッチン、トイレがついた部屋で出産までを過ごすことになる。