中卒のシングルマザーをとりまく「過酷な環境」
こうして、迎えた出産の日。20時間の陣痛の末、3860gの健康な男児(コウ君:仮名)を出産した。産後は陽菜さんは母子同室が叶わず、母乳を止める薬を飲み、「1歳までに生活基盤を整えて引き取る」という陽菜さんの意向のもと、子どもは生後7日目で乳児院に保護されることになった。夫とは、産後1か月もしないうちに離婚が成立し、陽菜さんが親権者となった。
「産後1か月、悪露がまだ出ている状態で働きに出ました。最初は清掃で、次はコンビニ。でも体調が回復せず、体力が落ち切っていてなかなか続きませんでした。面接もたくさん受けましたが、扶養欄に子どものことを書くと、17時からの仕事や夜勤は断られてしまう。
しかも面接で“お子さんはどうするんですか”と聞かれ、“一緒に住んでいない”と言うと、すごく悪い人を見るような目でみられる。辛かったです。だけど、シングルマザーの産後の体験談をネット検索すると、がんばっている人ばかり。母乳風俗で働きながら育児をしているシングルマザーもいました。私も頑張らなくてはと、どんどん自分を追い込んでいきました」
頼れるパートナーも親もおらず、社会的なキャリアがほとんどない女性が産後、心身が不安定な状態で働くことがどれだけ過酷なことかは想像に余りある。しかも元夫から養育費が払われることはなかった。
「“乳児院に預けているなら、養育してないじゃん。なんで養育費を払うの”というのが元旦那の言い分でした。乳児院に預けるにも利用費がかかるし、そもそも養育費を払ってもらえたら乳児院に預けずにすんだかもしれないのに。“じゃあ、乳児院から出てきたら払ってくれる?”と聞いたら“お金がない”と怒り出すのです。あとで知ったのですが、彼は別れた最初の奥さんとの子どもにも養育費を払っていませんでした」
生後五か月で「特別養子縁組」を決断
乳児院からは産後2か月目から面会の許可が出たため、何とか得た居酒屋での仕事をこなしながら、午前中は毎日面会に行った。面会では子どもの写真をたくさん撮り、子ども服も少しずつ買いそろえた。でも、午前の面会では子どもは寝てばかりで、次第に乳児院のスタッフのほうが我が子の様子に詳しいことを思い知らされ、心が苦しくもなった。
そして、生後5か月目を迎えた2019年のある夏の日。陽菜さんは、子どもを特別養子縁組に出すことに決めた。自ら児童相談所に電話した日付を、陽菜さんは今も正確に覚えている。
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