火災に遭い、文房具の多くは焼けてしまったようですが、北斎は工夫で苦難を乗り切ります。「貧乏徳利」(円筒形の粗製の陶器徳利)を割った北斎は、徳利の底に水を湛えます。これを北斎は筆洗としたのです。また徳利の大小の破片を画具皿の代わりとしました。赤貧とはまさにこの事でしょう。

豪快なイメージがあるが、酒は飲まなかった

豪放磊落(ごうほうらいらく)な北斎ですので、一般のイメージとしては大酒を飲み、煙草もよく吸ったと思われるかもしれません。が、北斎は酒も煙草もやりませんでした。北斎の画料は良かったとされており、酒も煙草も嗜むことはなかったのに、北斎はなぜ貧乏であったのか。

それは北斎がお金に無頓着だったからです。画料が紙包みにくるまれていても、北斎は中身を確認することはせず。米屋などが掛け取りに来ても、北斎はその辺にある紙包みを放り投げて持たせる。紙包みの中には大金が入っていたということも……。これではお金が貯まらず、貧乏生活に陥っても仕方ありません。

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北斎の行状は、批判的に評されることもあります。北斎は目の前に食べ物があったとしても家の食器に移すことはしなかったと言われています。箸を使うことなく、手掴みで食べるのでした。普通に考えると汚らしい行為であるのですが、北斎の場合にはそうした汚いとか下品とか、そうしたものを超越しているように思うのです。

北斎は世に媚びることなく、自らの信念に則って行動しているように感じます。北斎の頭の中には常に作画がありました。食べ物の包みも放置し、ゴミだらけの家の中で絵を描いたのもその表れでしょう。また北斎は頭から布団を被り、手元に尿瓶を置いて作画したと伝わります。

幕末になるまで長生きし、90歳で死去

このような生活を続けていたら早死にしそうですが、北斎は長命でした。代表作である浮世絵『冨嶽三十六景』シリーズ(全46図)は、満70歳を過ぎてから刷り出されたものでした。