女性社長に怒られ“坊主頭で土下座”
――鈴木さんがスキンヘッドにされたのはその時だとか。
鈴木 激怒した女性社長さんに謝るために、ご自宅までうかがったんです。謝罪の意を示すために丸刈りにして。坊主になって三つ指ついて土下座しましたが、許してもらえませんでした。今でも、ご連絡することができないままでいます。
私は調子に乗りやすい性格なので、自戒を込め、しばらく坊主のままで過ごすことにしたんです。その後、メンバーが抜けて桂子とのデュオになり、在仏日本大使館広報文化センターで開催した初めてのフランス公演(1997年)を皮切りに、ヨーロッパでの活動が増えていきました。
「坊主(鈴木)とロングヘア(井口)」の2人組と認知されて、ヘアスタイルを変えられなくなってしまったんです(笑)。
――その後はお2人で順調に活動されたのでしょうか。
井口 デュオにはなりましたが、実は第1回公演の後、富美恵ちゃんとは一度喧嘩別れしたんですよね(笑)。
鈴木 でも、例の女性社長さんに「富美恵ちゃんが持っていないものを井口が持っていて、井口が持っていないものを富美恵ちゃんが持っているから、一緒に組んだほうがいい」と言われたんです。だから、第2回公演に出てほしいと頼みに行きました。
井口 あれだけ気まずくなったのに、よく頭を下げてきたなって(笑)。
踊りしか信用できない
――結成から現在まで、お互いの印象に変化はありますか。
井口 私からすると、富美恵ちゃんは振付の時に抽象的なものの言い方をするからよくわからないんですよ。逆に、富美恵ちゃんからしたら、私は土足で人の心に上がり込む非常識な人に見えていたようだし。
ある時、走ってきて、お互いに飛びついて抱き合う踊りの練習を富美恵ちゃんとしたことがあったんですけど、その時に、この人は抱っことかされてこなかった人なんだと思ったんですよ。
鈴木 かわいそう(笑)。
井口 私はそう思ったことをそのまま富美恵ちゃんに伝えたんです。そしたら、富美恵ちゃんが「そういう家庭で育った」って。しかも、「私は人を信用していない。踊りは裏切らないから、踊りしか信用できない」とも言ったから、何てかわいそうな人なんだろうと。
鈴木 私が子供の頃、クラシックバレエを続けたのは家に居場所がなかったからなんです。実の父親と育ての父親が別で、私は父の兄に育てられました。実父と養父には確執があって、養父は実の父の面影がある私に嫌悪感を抱いていたようです。
自由に生きることを阻止される家庭で育ったので、私はダンスで自分を表現したいと思うようになりました。ダンスがあったから私は生きる実感をもらえて、間違った方向に進まずに済んだんです。
井口 2回目の公演の時、富美恵ちゃんのソロがあって、それを観た時に富美恵ちゃんの見え方がこれまでと180度変わったんですよ。この人は本当に踊りが好きなんだと実感しましたし、ピュアで、一生懸命で、儚くて、脆くて、でも強い人だと。そのソロを観なかったら、私はまた違った人生を歩んでいたかもしれない。


