だって長さんには愚痴こぼせる人がいないんだもの
―― いかりやさんが亡くなる3ヵ月前、『ドリフ大爆笑』のオープニングとエンディングを収録されてますよね。
高木 覚えてますよ。あのときの長さんは、もう声出なかったんじゃないかな。でも、死んじゃうなんて思ってもみなかった。何かのテレビで顔を見て、治ったんだなって思ってたくらいだから。
―― 訃報は、仕事先の岡山で聞かれたそうですね。
高木 かけつけたのは、僕が一番早かったんじゃないかな。仕事帰りに飛んで行きました。長さんを前にして「バカヤロー」って思わず叫んじゃったよ。これからどうすんだよ、ドリフをどうすんだよ、って。昔のことだけど、『全員集合』をやってるころ、所帯を持ってるのは僕と長さんだけだった。他のみんなは、番組が終わったら、パーっと遊びに行っちゃう。そのとき、「おい、飲みにいこう」って言われるのは僕なんだよ。今だから言っちゃうけど、飲みに行くと長さん、メンバーの愚痴をこぼすんだ。もちろんそれを誰かに言うつもりもなかったし「はいはい、そうですね」って聞いてた。だって長さんには愚痴こぼせる人がいないんだもの。俺だったら年齢が一番近いんで、話しやすかったんだと思う。
長さんとデートした話
―― いかりやさんにとって、高木さんの存在は大きかったんですね。
高木 おっかしいんだよなあ、長さんの2人目の奥さんのデートに誘われたこともあったんだよ。
―― 高木さんも一緒にですか?
高木 そう、3人で歩いてデート。きれいな彼女で、黒の毛皮のコートなんか着てました。2人っきりになるのが恥ずかしかったのか、あの人、そういうのは不得意だったんだよな。でもだからって、なんで俺が行かなきゃいけないんだって(笑)。あの時はさすがに思ったな。
(#2に続く)
写真=佐藤亘/文藝春秋
たかぎ・ぶー/1933年東京生まれ。中央大学在学中にハワイアンバンド「ルナハワイアン」のメンバーとして活躍。その後「高木智之とハロナ・セレナーダス」などを経て、1964年に「ザ・ドリフターズ」に参加。高木ブーとして、日本中のお茶の間に笑いを届ける。現在もミュージシャンとして活動中。