芸名はハナ肇さんが勝手につけた
―― 桜井さんってどんな方だったんですか?
高木 桜井さんは、カントリーの人。歌の上手い方なんだけど、お笑いが好きなんですよ。自分ではそんなことしないんだけど、あのころはクレイジーキャッツの時代でしょ。クレイジーは、音楽もコミックもやる一流のバンド。だから、桜井さんとしてはドリフもそんなグループにしたかったんでしょう。後から考えると、桜井さんの力は大きかったなあと思います。
―― その後、桜井さんが退き、荒井注さんと仲本工事さんが加入して、おなじみのドリフのメンバーになるわけですね。昔の資料を見てると、「高木智之」の名前で出演されてますね。
高木 それは最初の芸名だね。
―― 記事には、「アダ名はブー」って書かれてます(笑)。
高木 「ブーちゃん、ブーちゃん」って言われてたからね。芸名は、ハナ肇さんがこじつけで勝手につけたんです。メンバーみんなそうだよ。碇矢長一が、響きがいいからって「長介」。加藤は、水にちなんだ名前が出世するとか言って「茶」になった。仲本は、本名が「興喜」なんだけど、よくケガしてたから工事中の「工事」。工事は、水たくさん使うだろって、こじつけもいいとこだよね。で、高木ブーは、もうそのまんま。
どうして志村けんが加入したのか?
―― 1969年に『全員集合』が始まり、最高視聴率50%超のお化け番組になっていきますが、5年目に荒井注さんが体力の限界を理由に脱退します。あれは直前に聞いたんですか?
高木 うん。一応、いかりやさんから僕のところにも話があった。これからどうしようかって。僕は「4人じゃおかしくないか」って意見を言ったかな。「全員集合」って言葉は、番組が最初じゃないんですよ。ジャズ喫茶のとき、音を間違えると、いかりやさんが真ん中で「全員集合」って叫ぶの。そしたら、両サイドから2人ずつ集まってくるっていうギャグをやってた。それが2人と1人だとバランスおかしいでしょって、言ったことあるよ。まあ、それだから志村を選んだわけじゃないだろうけど。
―― 志村さんはドリフのボーヤ、いわゆる付き人だったんですよね。ボーヤ時代の志村さんで、何か印象に残ってることはありますか?
高木 うーん……。ボーヤだねって印象しかないかな。
―― 他のボーヤの方との違いなどは。
高木 ボーヤはいっぱいいたからね。志村は、「マック・ボンボン」というコンビを作って一度独立して、またボーヤで戻ってきたの。あと、すわ親治って知ってる?
―― はい。すわさんもドリフのボーヤで、『全員集合』のコントにも出演してましたよね。
高木 志村がいなければ、すわ親治が入ってたでしょうね。
―― 当時は、すわさんが加入するという噂もあったそうですが、どうして志村さんになったんですか?
高木 順番でしょう。荒井注が辞めて志村、次に僕が辞めたらすわ親治、そんなところでね。