悩み事はまだ他にもあった。当時小学4年生になっていた息子のことだった。最初は大津さんが家を留守にする間、学童保育で見てもらっていたが、本人が通うのを嫌がり自宅で留守番をさせるようになっていた。1人で母の帰りを待つ息子のことが、大津さんは心配だった。

 求職活動を始めて3ヶ月。まったく目途が立たない状況に、心が折れそうになった大津さんは実家に電話をした。「もう息子を連れて実家に帰るしかない」そう考えていたからだった。

実家の父から「帰ってくるな」と…

 大津さんは愛知県の郊外にある小さな町で、3人きょうだいの次女として生まれた。美人の姉と勉強ができる弟に挟まれ、“ちょっと残念な子”として扱われることも少なくなかった。そんな大津さんが車の部品工場を経営していた父親から繰り返し聞かされたのは、「人とは違う市場で戦うべし」という“起業家の心得”だ。父親の教えはマインドコントロールのように心に沁み込んだ。

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 求職活動に疲れた大津さんからの電話をとったのは、父親だった。父親は話を聞くや否や「帰って来ることは許さない」と言った。「娘が離婚して戻ってくるなんて、近所の人からどんな目で見られるか」。どうやら、そんな世間体を気にしているようだった。就職先は見つからず、頼みの綱の実家には頼れない。なけなしの貯金もそろそろ底を突きそうだ。大津さんは八方塞がりの状況に陥ってしまった。

写真はイメージ ©AFLO 

「この先どうしたらいいのだろう」、絶望の淵で心に湧き上がったのは、やはり自身の「やってみたい」というポジティブな衝動だった。

「結婚前に始めた清掃の仕事を、生きがいに感じていたことを思い出したんです。当時の職場は男性社会で肩身の狭い思いもしましたが、一方で掃除は、女性が社会で輝くための『特別な仕事』になり得るのではないかと感じていました。そして、シングルマザーとして雇用されるのが難しいなら『自分で自分を生涯雇用してしまえばいい!』とも考えたんです。私には結婚や妊娠・出産を経ても、高校卒業からずっと切れ目なく働き続けてきたという誇りがありました。だから、掃除や片付けの会社を起業することにしました」

 息子の存在も後押しになった。「いつかゲームの大会に出たい」と言う「ゲーム好きな息子の夢を叶えられる母親になりたい」と、大津さんは心の底から願っていた。そのためには安定した稼ぎを得なければいけない。自分の会社を興すことが、親子2人の幸せな未来への第一歩に思えたのだ。