1990年代半ばから2000年代初頭の景気低迷期に就職活動を行った世代は“就職氷河期世代”、あるいはロストジェネレーションと呼ばれる。社会の犠牲になったと言っても過言ではない彼・彼女らは、それぞれどうやって厳しい時代を生き抜いてきたのだろうか。

 今回の記事では、周囲からどれほど否定されても起業という夢を諦めなかった、シングルマザーの大津たまみさん(55)にスポットを当てる。離婚した女性への風当たりが今よりもずっと強かった時代に、不可能を可能に変えることができた理由とは――。詳しく話を伺った。(全3回の3回目/最初から読む)

大津たまみさん 本人提供

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「シングルマザーに物件は貸せない」

 35歳で離婚した後、なかなか求職活動がうまくいかなかったため、「それなら自分で自分を雇用する!」と起業を決意した大津たまみさん。両親や友人たちは「成功するはずがない」と全く応援してくれなかったが、諦めずに事業計画を進めた。そしてついに2006年7月、ハウスクリーニングや家事代行業務を行う会社「株式会社 アクションパワー」を設立する。

 しかし、苦難はそこで終わらない。最初に立ちはだかった壁は、事務所として使う物件の賃貸契約だった。どの不動産会社からも「シングルマザーに物件は貸せない」と断られてしまったのだ。

「中には『シングルマザーに物件を貸すなんて、ヤクザに物件を貸すのと同じだ』とまで言う不動産屋さんもいました。事務所がないと事業が始められないので困ってしまったのですが、8軒目にたどり着いた不動産屋さんにシングルマザーの事務員さんがいて、その方が大家さんに掛け合ってくれたんです」

 そうして、やっとの思いで契約したのは築30年以上は経っている「雅荘」というアパートの一室だった。会社の看板の代わりに、ドアに会社名が印刷されたテプラを貼り付けた。思い描いた事務所よりもずっとボロボロだったが、大津さんの気は引き締まった。ついに、ここから始まるのだ。

 その後、大津さんは顧客を獲得する活動をコツコツと地道に続けた。方法は基本、対面でのプレゼンテーションだ。事前に下調べをして、話を聞いてくれそうな人から順番に声をかけた。お金がなかったので広告を打つことはできなかったが、むしろ1人1人と向き合って、自分という人間を知ってもらうことにこだわりたかった。それが大津さんの「好き」なやり方だったのだ。結婚前から15年以上続けていた化粧品販売の経験も役に立った。