息子の夢を叶えるため邁進…そして現在は
大津さんは1社目の「株式会社 アクションパワー」に続き、3つの事業を立ち上げた。どの事業でも「清掃や片付けの仕事を生きがいにしたい」「女性が社会で輝く道を拓きたい」という、起業当初に抱いた信念に沿う活動を貫いた。
全部で4つの組織の代表として活躍し続けることができたのは、やはり息子の存在が大きかったようだ。中学2年生になった息子に、ある時こう言われた。
「東京の高校に進学して、海外留学も経験したい」
多忙の中でも毎週日曜日は必ず仕事を休み、息子とじっくり話す時間を作っていた大津さん。将来についてよく話し合う親子関係が築けていたからこそ、彼は真摯に目標を伝えてくれたのだ。驚きはあったが、大津さんに断る理由などなかった。息子の夢を支えたい。その費用を稼ぐため、一層仕事に打ち込んでいった。
「当時は知らなかったのですが、私が仕事で留守にすることが多かったのもあって、息子はちょっとヤンチャなグループと仲良くしていたみたいなんです。息子自身が『このままではダメだ』と、心機一転やり直すために『東京に行きたい』と思ったようで。その希望を叶えるためには学費はもちろん、引っ越し費用などいろんなお金が必要になりますよね。普段の自分じゃ考えられないほどのハングリー精神で働き続けられたのは、息子のおかげです」
現在、大津さんの息子はeスポーツの映像プロデューサーとして活躍している。かつてゲーム好きの少年だった頃に見た「ゲームの大会に出たい」という夢を、形を変えて実現したことになる。息子の夢を叶えるために仕事に打ち込んできた大津さんの夢も、その時同時に叶えられたのかもしれない。
就職氷河期は「何でも挑戦できる時代」
就職難の時代を耐え抜き、起業家としてサバイブしてきた大津さんに“就職氷河期世代”についてどう考えているか聞いてみた。
「自由な発想を持ち、自分のやりたいことを実現する力がある方が多い一方で、実は意外と堅実……っていう気がしています。今後、氷河期世代が歳を重ねていくにつれて、お金がないから仕方なくというだけではなく、積極的に『定年後も働きたい』と考える人が増えるのではないでしょうか。私たちが楽しそうに働いていたら、後続の若い人たちも働くことに魅力を感じてくれるはず。どんな時代にも課題はありますが、私は今この時代を生きられることに感謝していますし、日本の未来は明るいと感じています」
