1990年代半ばから2000年代初頭の景気低迷期に就職活動を行った世代は“就職氷河期世代”、あるいはロストジェネレーションと呼ばれる。社会の犠牲になったと言っても過言ではない彼・彼女らは、それぞれどうやって厳しい時代を生き抜いてきたのだろうか。

 今回の記事では、周囲からどれほど否定されても起業という夢を諦めなかった、シングルマザーの大津たまみさん(55)にスポットを当てる。離婚した女性への風当たりが今よりもずっと強かった時代に、不可能を可能に変えることができた理由とは――。詳しく話を伺った。(全3回の1回目/続きを読む)

大津たまみさん 本人提供

◆◆◆

ADVERTISEMENT

初産に夫の起業、多忙の中でノイローゼに…

 愛知県在住の大津たまみさんは、20歳のときに同い年の男性と知り合った。きっかけは友人の紹介だったが、少し話しただけで「自分にないものを持っている人だ」と感じた。自身を「弱虫で泣き虫」だと思っている大津さんから見て、物怖じせず、強い精神力を感じさせる相手の性格はとても魅力的に映ったという。

 2人はその日のうちに交際を始め、数回のデートを経て同棲に至る。「離れている理由なんてない」そう強く思うほどに、お互いに惹かれ合っていた。

 その後、結婚を決めたのは大津さんが25歳のときだ。同棲を始めてから4年の月日が経っていた。2年後には息子が誕生し、積極的に育児に関わってくれる夫と3人暮らしの生活が始まる。絵に描いたような幸せを手に入れたかに思えた大津さんの心中は、しかし複雑だった。

「どんどん、疲弊していっちゃったんです。結婚前から“女性”という役割を担って生きてきて、そこに“妻”とか“主婦”という役割が加わりました。そして今度は“母”。何も減らないのに、増えていくばかりなんですよね。しかも家事や育児に加えて、夫が起こした事業の手伝いまでするようになって。忙しい中でノイローゼのようになっちゃいまして……」

 大津さんの夫がビルのメンテナンス会社を起業したのは、息子が生まれてから約1年後のことだった。多忙な夫を支えることに責任を感じていた大津さんは、事務や現場作業、経営のマネジメントに至るまで、様々な業務を手伝った。育児も含め、何もかもが初めてだった。

 産後うつは出産から1年経過した後でも発症する可能性があるという。二重のプレッシャーに押しつぶされるような当時の大津さんの状況は、心身ともに疲弊して当たり前だったのかもしれない。しかし、根本的な解決策が得られないまま、苦しい日々は続いていった。